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◆【幕末から学ぶ現在(いま)】東大教授・山内昌之 山尾庸三



 (産経 2009/4/30)


英国に渡航した長州5傑の面々。右上の伊藤博文から、時計回りに山尾、井上馨、遠藤謹助、井上勝(萩博物館)


 ■政治家と「生きた器械」

 “クレオパトラの鼻が少し低かったら、世界史は変わっていたかもしれない”。パスカルの言葉は、歴史における「イフ」(もし何々だったら)という仮定への誘惑をそそってきた。彼女の鼻は手術でもしなければ低くできない。

 ◆「長州5傑」の判断こそ

 しかし、幕末に20代の「長州5傑」(長州ファイブ)がロンドンで実際と違った判断をしていたなら、明治新時代の歴史は想像もつかないほど変わっていたに違いない。鎖国の日本から英国に留学した5人の若者は、外国艦隊の長州攻撃計画を知って苦悩した。考え抜いた末、後に井上馨や伊藤博文と名乗る若者たちは、近代陸海軍の現実をこの目で見て攘夷(じょうい)の無謀さを藩に説くために急遽(きゅうきょ)、帰国の道を選ぶ。こうして2人は、政治と外交の世界で明治新政府をリードする政治家に成長する。

 しかし、自然な任務分担の形で英国に残り、学業を続けた3人の偉さについて知る現代人は多くない。山尾庸三はグラスゴーの造船所で働きながら、アンダーソン・カレッジで工学を勉強した。他方、井上勝はロンドン大学などで鉄道・鉱山技術を学び、遠藤謹助も造幣技術を習得している。

 ことに山尾は品川御殿山に建築中の英国公使館焼き打ちに加わった筋金入りの尊王攘夷派であったが、英国に渡ると、西洋の先端技術の摂取に努めた。早い話が転向したのである。

 ◆橋、鉄道、金貨…貪欲に

 5傑のこだわりのないプラグマチストぶりには驚かされるが、現実に大英帝国の繁栄を見ると、攘夷では国が滅びると実感したに相違ない。この見切りの良さが幕末の志士を明治のエリートに成長させる原動力になった。

 政治家だけで新しい国造りはできない。山尾たちは、テムズ川の堅牢(けんろう)な橋、マンチェスターの工場、ロンドン中心の鉄道網、社会生活の基礎となるポンド金貨などを近代日本国家も摂取すべき不可欠の要素と考えた。

 井上勝は帰国後、新橋・横浜間の鉄道開業に努力し、国鉄総裁に相当する職に就く。高給の外国人お雇いをやめ、大阪に工技生養成所を設けて自前の技術者育成に努めたあたりは、幕末に攘夷の風を吹かした長州人らしい。東海道線や国産車両も井上がいなければ実現できなかった。まさに“鉄道の父”なのである。

 遠藤謹助は、造幣局長など一貫して貨幣鋳造畑を歩む。英国人お雇いと衝突して辞職する気骨は幕末の気風を残していた。再び造幣局に戻った彼は毎年4月中旬に桜並木を一般公開する「桜の通り抜け」を始めた“造幣の父”だ。


 ◆工学教育研究の功労者

 山尾庸三は帰国後、工部省や工部大学校(東京大学工学部の前身)をつくり、国家経営の高級技術者を育てることに腐心した。日本繁栄の土台をつくった工学教育研究最大の功労者といってよく、“工学の父”の名にふさわしい。

 さらに、山尾の偉いのは、英国の造船所で会話が不自由な職工が日々元気で働くのに感動し、耳が聞こえず、目の不自由な身体障害者の教育に取り組み、明治13(1880)年に「楽善会訓盲院」の設立に尽力したことだ。現在の筑波大学付属聴覚特別支援学校などの前身である。

 山尾らを見た英国人は、彼らの礼儀正しさ、真面目さと勤勉ぶり、目標を目指すひたむきな努力、手の器用さを褒めたたえた。山尾らに共通するのは、武士の誇りと使命感であった。彼らは技術や教育という地味な分野で近代国家の建設に貢献したのである。

 伊藤博文や井上馨らの政治家は、有能な専門家を活用する術を知っていた。政治家は、優秀な能力をもつ人間を活殺自在に使う点で器量が試される。良い官僚まで叩くと、政治は成り立たない。山尾らの才能を見抜き、それを新生日本の「生きた器械」として活(い)かした明治の政治家の度量には改めて感心させられる。


【プロフィル】山尾庸三

 やまお・ようぞう 天保8(1837)年、周防国長州藩士、山尾忠治郎の次男として生まれ、吉田松陰らに学ぶ。幕府が開国の延期を交渉するため、文久元(1861)年、ロシアへ使節団を派遣し、随行した。翌年に帰国後、品川御殿山のイギリス公使館を焼き打ちにした。同3年には密航でイギリスに渡航、産業や文化を視察し、各種工業を調査研究した。明治3(1870)年に帰国し、横浜造船所の責任者となり、同13年には工部卿に就任。その後、法制局長官、有栖川宮と北白川宮の各別当の要職を務め、21年には臨時建築局総裁を兼ねた。31年の辞職後は、文墨を楽しみ、金魚を好んで飼育した。20年には子爵に任じられた。大正6(1917)年に脳出血のため、81歳で死去。
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by sakura4987 | 2009-05-22 12:26

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