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◆【正論】立命館大学教授・大阪大学名誉教授 加地伸行



 (産経 2009/4/30)


 ■移植臓器の提供先を明らかに

 ≪■ドナーが決定的に不足≫

 今国会に提出の重要法案の一つに臓器移植法改正案がある。

 この法案の主要目的は2点。1点は子どもへの臓器提供機会の拡大。もう1点は、海外で移植手術を受ける日本人が増えたことへの海外からの批判への対処である。

 そのための改正論議とのことであるが、まったくピント外れ。最大問題はドナー(臓器提供者)が決定的に少ないこと、それをどうするかということなのである。

 現行臓器移植法は、成立してから13年目に入るが、その適用はまだ81例とのこと。1億3000万人に対してこれでは法の存在意義すらないに等しい。それほどドナーは少ないのである。

 ではどうすればよいのか、ドナーを増やす方法はあるのか。

 ある。その方法について、私は15、16年も前から述べているのにだれも耳を貸そうとしない。

 私はこう主張している。臓器提供を可能にするのは、日本人の死生観と合致するときである。その合致がないかぎり、いくら法律をいじくっても、臓器提供は増えない、と。

 世界的に言えば、代表的死生観は3種に集約できる。

 移植臓器の提供先を明らかに

 一つは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教すなわち一神教のそれである。この場合は、神を信ずる者には魂の救済があるので、なによりも信仰第一。また、神が天地創造の際、人間の姿を土で造り給(たも)うたとするので、遺体は元の土に帰るだけ。それなら、遺体から臓器提供しても神の意志に反することはない。いや、むしろ他者のために積極的にさえなりうる。

 いま一つはインド諸宗教(インド仏教も含む)の死生観。それは輪廻(りんね)転生であるから、魂は次々と転生してゆくが、どういう世界に生まれるのかは不明なので、肉体は夢幻にすぎず、遺体は火にかけ散骨する。祖先は祭らず、墓も作らない。だから、貧しい者は生きているときでも腎臓を1つ売ったりする。まして遺体の臓器提供に抵抗はない。

 ≪■儒教融合した独自死生観≫

 最後に儒教文化圏、特に日本。インド仏教は中国に伝来して後、儒教の死生観と融合し、それが日本仏教においてさらに深化し独自の死生観となる。

 すなわち、インド仏教的に本尊に対しては輪廻転生の苦しみからの軽減を乞(こ)い、一方、儒教的に祖先(位牌(いはい))に対しては祖先からの連続に感謝する。この仏・儒両儀礼において、実質的には祖先祭祀が中心となる。

 祖先祭祀とは、天空にある魂(こん)(精神)と、墓に眠る魄(はく)(遺体)とを呼び出して合体させる儀礼であり、魂魄は位牌に依りついて遺族、子孫と再会することとなる。このとき、子孫は祖先との生命の連続を意識する。これが日本人の死生観の根元である。

 さて、もし20歳まで成長した子が交通事故に遭い、頭部だけを打って死亡し、首から下は健全であったとき、臓器提供をする条件は備わっている。

 そういうことは理屈では分かっている。しかし、もし身体の一部でも提供するとしたならば、すなわち身体を〈欠損する〉としたならば、祖先祭祀の儀礼(法要)のとき、完全な形の身体で現世に帰ってくることができないという抵抗感、拒絶感があるのである。

 もちろん、それは土葬時代の感覚であり、今日のようにインド仏教風に荼毘(だび)に付す、すなわち遺体を火にかけて焼く以上、原形はどこにもない。

 しかし、おそらくは何千年と続いてきた遺体観はそう簡単に変わるものではない。

 だが、そのような遺体観、延(ひ)いては死生観を乗り越えて臓器提供をしようと思っても、ブレーキがもう一つある。それは、臓器の行き先が不明という点である。


 ≪■提供者の慰霊祭も必要≫

 聞けば、アメリカで臓器提供者側の者が、提供先を知り恐喝的に金銭を要求した事件があったらしく、それ以来、提供先を明らかにしないのが通例となり法律化してきた歴史が今日に至っている。

 けれども、日本はアメリカとは異なる。生命の連続を重んずる感覚の日本人の場合、前掲の死亡した20歳の子の心臓は岡山県の△△さんの中で生きている、肝臓は愛知県の□□さんのところで…とあれば、子を失った悲しみの幾分かは癒やされよう。

 いや、提供を受けた人との劇的な対面がいつかはありえよう。あるいは、亡き子の法要にその人たちの参列もありえよう。

 求められれば臓器提供先を明らかにするということを法案に明文化しないかぎり、日本人の臓器提供が増える可能性はない。

 また、祖先祭祀という慰霊は日本人の根本感覚である。とすると、臓器提供者に対して知事クラスが主催する慰霊祭もまた必要である。

 医学部解剖学教室が行っている献体者慰霊祭は荘厳で感動的である。慰霊は百千万言の議論を越えて説得力がある。

 臓器提供先や慰霊の問題を無視しての今の改正案は、まさに「仏作って魂入れず」に終わることであろう。
by sakura4987 | 2009-05-22 12:26

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