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◆日本駐米大使、第二次大戦中の米捕虜虐待「バターン死の行進」に謝罪



 (聯合-韓国語 2009/6/1)

 http://www.yonhapnews.co.kr/international/2009/06/01/0602000000AKR20090601072100009.HTML


 第二次大戦中に起きた「バターン死の行進」生存者に藤崎一郎駐米日本大使が30日、直接日本政府を代表してお詫びの意思を表明した。

 藤崎大使はこの日、アメリカテキサス州のサンアントニオで開かれた「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」に出てお詫びを表明した、とサンアントニオエクスプレスニュースが伝えた。毎年開かれるこの集会は今年、64回目にあたり予定された最後の生存者集会だった。

 この日の集会ではバターン死の行進の生存者73人が出席して藤崎大使のお詫びを傾聴した。全員、米陸軍または陸軍航空隊所属だった人々は当時、戦争捕虜で幾多の死傷者を出した死の行進で生き残った人々だ。

 藤崎大使のお詫び表明に対して参席者たちは歓迎したが、批判的雰囲気も強かった。彼らは謝罪があまり遅れたうえに、アメリカ人を直接明示して謝ったのでもなく、日本政府全体から出たようでもないという反応だった。

 藤崎大使はこの席で「日本の前総理が重ねて言ってきたように、日本国民は過去を返り見て歴史の教訓を学ばなければならないという事実を肝に銘じなければならない」と言った。彼は「我が国がバターン半島とコレヒドール島で悲劇的体験をした戦争捕虜を含む多くの人々におびただしい被害と苦痛を与えたことに心からお詫びを表明します」と言った。

 藤崎大使のこの演説には、戦争捕虜の親戚を含んだ400~500人ほどの参席者の中で半分程度が起立拍手を送った。サンアントニオに居住する参戦勇士のジョー・アレキサンダーは「遂に私たちが願った謝罪を引き出した」と満足した。しかし、一部の参席者が藤崎大使と握手して一緒に写真を撮るうちに、他の人々はぴりぴりした発言を忘れなかった。

 戦争捕虜だったハーシェル・バウシーは藤崎大使に「あなたの謝罪」を受け入れない、と言ってあの時多くの人々が経験した苦難と虐待は本当にひどいものだったと明らかにした。戦争捕虜で生き残ったトニー・モントーヤも藤崎大使の演説に真正性があったように見えなかったと言った。彼は「この若い人は(当時の)惨状についてまともに知らない」と言った。9年間の軍隊生活のうち3年を戦争捕虜として過ごしたアビー・エイブラハム(95)はしかし、今はここから進まなければならない時だと言った。彼は日本はもうアメリカの友邦だと強調した。

 バターン死の行進は1942年にあった。当時フィリピンを占領していた日本軍は7万8千人の捕虜をルソン島バターン半島で6日間捕虜たちを徒歩行進させて収容所に移動させた。捕虜たちは大部分、食物と水を飲むことができずに医療措置も受けられなかったし、一部は刀にさされたり斬首にあったりした。アメリカ空軍は当時、この行進で1万1千名の捕虜が死んだと明らかにしている。死の行進を行った7万8千名の捕虜の中で米軍が1万2千名、フィリピン軍が6万6千名だった。
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by sakura4987 | 2009-06-09 14:56

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