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◆お金に代えられない“子宝”

 二月二十七日付の談話室で「2人目の子供ほしいけれど」を読みました。「今の経済力を考えるととても悩んでいる」という内容でした。私は二歳の息子と十カ月の娘を持つ母親ですが、お子さんを産んでいただきたいと心から思いました。

 私は十九歳で妊娠、結婚しました。当時、二十三歳だった夫に十分な経済力はなく、その上多額の借金もあったため、生活はとても苦しいものでした。

 そして息子が一歳にならないうちに二人目を妊娠しましたが、迷うこともなく出産できたのは、一生懸命働いてくれる夫の協力と、「裕福でなくても子供がいれば心豊かに暮らせる」ということを息子が教えてくれたからです。

 それと、年三回振り込まれる「児童手当」。この支援がどんなにありがたいことか。

 今では受給額も二人分で本当に助かっています。お金はないよりあった方がいいとは思いますが、子供はお金に代えられない宝です。ぜひ自分たちの宝、国の宝を一人でも多く産んでいただきたいと切に願っています。


◆生かされていることに感謝

 世界に六十億以上の人が生きているが、それぞれに悩みを抱えて暮らしている。

 しかし、その悩みの内容は、国や地域によってまったく違うことだろう。今の日本では、日常生活の中で食べるものがないと悩んだり、いつ命を奪われるかという恐怖におののいたりすることはまずない。

 日本の豊かな社会における悩みの多くは、選択の豊富さによる「恵まれた悩み」だといわれる。本当は最高のものを選びたいのに、自分はこれで我慢しなければならないと思って悩む。しかし、上を見ればきりがない。たとえそれが満足されても、また次の欲がでてくるので、結局悩みの種は尽きない。

 世界の中で、今の日本人が立っている地点を客観的に見たなら、十分すぎるほど恵まれている。狭い社会の中での自分を見るのではなく、もっと遠いところから自分を見ることも大切なことではないだろうか。そのときに、恵まれていること、生かされていることへの感謝が生まれてくるのだと思う。


◆子供と過ごした時間は宝物

 八日付の山本千恵子さんの投稿「育児しながら『育自』の毎日」を読み「やっているじゃない、それでいいのよ」と声をかけたくなりました。

 私も千恵子さんと同じような時期があったので、まるで自分のことのように読みました。その当時は「子育ては忍耐さえあればいい」と何度思ったことでしょう。そのときは、このような状況が永遠に続く錯覚におちいっていた時期でもあったように思います。そのような状況でも、朝になると、子供たちと一緒にいることが喜びでした。

 それなのに、また同じ気持ちの繰り返しなのです。そんな自分が情けなく、自己嫌悪におちいる日々でもありました。

 そのような日々を積み重ねていると、いつの間にか、子供たちが大人になっていることに気が付く日がくるのです。そして、一緒に過ごした時間がどんなに大切なものだったかに気が付くときがあります。

 誰にも負けないくらい、多くのエピソードを残して巣立っていった三人の子供たちを、今はどんなにいとおしく思うことか。親元から離れても、それらのエピソードは全部、私のものであり宝物です。瞬時にして、その時にタイムスリップできるという幸せのおまけつきです。

 気が短い私でしたが、少しは変わってきました。これも子供たちが残してくれた贈り物だと思っています。そのままでいいのよ、千恵子さん。


◆家庭が何よりの安らぎの場

 十六歳未満の子供たちが午後七時以降、カラオケボックスやゲームセンターなどへの出入りを禁止する大阪府の改正青少年健全育成条例が一日から施行されましたが、こうした条例をつくらざるを得ないのも、家庭が子供たちのやすらぎの場になっていないからではないでしょうか。

 このところ子供が被害者になる事件が多発しており、また不良行為に走る少年たちや攻撃的な子供たちが増えているように感じます。そうした青少年は、きっと心が「不安」なのだと思います。

 寂しさや孤独感から逃げるために、夜遅くまで街の中に身を置き、不安が高じると人を攻撃し、気を紛らわせる。この根本にある「不安」を解消する方法は「優しさ」ではないでしょうか。優しさは不安を乗り越えていけるはずです。

 優しさは口で伝えるだけでは駄目。頭の良い人のそばにいても百点はとれませんが、優しい人のそばにいれば優しさは伝わります。

 子供たちは成長とともに、友達のこと、学校のこと、勉強のことなどいろいろな「不安」と闘っています。子供の話を聞いてやり、一緒に悩んでやる。そして時には思い切り褒めてやる。そういう安らぎの場が家庭であってほしいと願うばかりです。


◆母親に自分見てほしい子供

 現在、娘が小学一年生となり、育児を一段階終えた心境です。

 私の世代は「結婚か仕事か」「子供を産むか産まないか」「仕事か子育てか」と二者択一を迫られてきました。そんな風潮の中、専業主婦として子育てに専念できたのは、「貧乏してでも三歳までは子供のそばにいなさい」という母の一言があったからです。

 子育ては想像以上に大変で、毎日が子供との格闘、そして私自身の心との格闘でした。しかし、その格闘の日々こそが、実は私の大切な宝となったことに気づかされます。子供の成長をつぶさに見ることで、「人間が生きる」ことについてこれほど考えた時間はなかったからです。

 公園での出来事を思いだします。娘を遊ばせているといつの間にか、保育園児に囲まれます。「おばちゃん、見て、見て」と泥の団子を持ってくる子、ブランコを高くこいで得意げに笑顔を見せる子。みんな“自分を見てほしい”と叫んでいるように聞こえました。けれども本当は、お母さんに見てほしいのだと思います。

 一段落した今、「仕事もしたい」というのが私の本音です。これからは、自分の生き方も考えていこうと思います。


◆育児しながら「育自」の毎日 (2・8)

 私は育児をしながら、「育自」にがんばっている。六歳、二歳、五カ月の三人娘の母。育児は難しくイライラし、きつく長女に当たって自己嫌悪に…。自分が思い描く母親像とまるっきり反対の母になっている。気の短い性格での育児はなかなか大変だ。

 現在は育休中で、時間的に余裕のある日々なのに、働いていたとき以上に、きつい口調で子供を押さえ付けている自分が嫌になる。

 長女と二女がおもちゃの取り合いをし、二女が号泣、その声で三女も泣くと、イライラは絶頂。「忍」の一字をかみしめる前に怒ってしまい、その後彼女らに謝る毎日。

 育児が下手な私でも、三人も育てたら少しはうまくなっているのだろうか。きっと、三人育てて世の一児の母と同レベルなんだろう。こんな母にも、娘三人は「笑顔」という最高の褒美をくれる。


◆中学生に気付かされた幸福 (2・8)

 誰かに必要とされる幸福-一月五日付「子猫育てて変わった人生観」を読んで、投書された十五歳の田中美保さんから大事なことに気付かされた思いです。

 私も思春期のころ、自分の存在価値について考えていました。田中さんと同じように「こんな私でも必要とされている」と感じたとき、生きる意味を見いだしたことを覚えています。

 二十八歳になった今、私はひとつの命を産み、母となりました。彼女は朝起きてから寝るまで、いえ、寝ている間でさえも私を呼んでいます。時には「一人の時間がほしい」「誰か世話をかわって」と思うこともありますが、投書を読み、私を必要としてくれる人がいるのはなんと幸福なことかと、改めて思うことができました。

 いつか、あなたも小さな“宝”に出会う日が来るでしょう。そのとき、この文章(投書)を改めて読んでほしいと思いました。きっと、私だけでなく、子育て中のお母さんの励みになったことと思います。ありがとう。


◆子供欲しくないという人へ

平成18年1月27日(金) 産経新聞

 若いころ、私は子供が嫌いだった。恋人ができると友情が壊れるというが、私は、子供ができると壊れると思っていた。

 子供は煩わしくて面倒で、無視すればすねる。嫌いといえば何を言われるかわからない。母親になった友人は主役の座をすっかり子供に譲り、若さも美しさも失ったただの“オバサン”に激変した。嫌だし、不思議だった。自由気ままに暮らしていた私は、結婚は遅いほどよいと思っていた。

 その私が母になった。初めて子供に母乳を飲ませたとき、乳をあぐあぐ探すわが子に、私は“何!”と驚き、変な生物を見るような目で見ていた。おなかに子供が宿ったとたん母親になる人もいるが、母親らしくなるのに私は半年かかった。

 “天使”と“悪魔”を行ったり来たりするわが子に振り回されて、子育てとは「忍耐と寛容」だと思い知り、それでもいとしく、母親に“させて”もらった。

 母性こそ真実の愛、無償の愛と感じた。子供の喜びが私の喜びになり、人生をもう一度、一緒にめぐり、楽しさが何倍にも広がった。これは無上の喜びであり、子供を産めるなら産まない手はない。
by sakura4987 | 2006-03-12 17:09

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


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