人気ブログランキング | 話題のタグを見る

★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

◆急がれる総合学習と生活科の見直し

◆教育(ゆとり教育・学力低下) / 2005年03月05日

◆急がれる総合学習と生活科の見直し

過去の失敗教訓に教育正常化を  京都大学教授・西村和雄  平成 17年 (2005) 3月 1日[火]

《現場の反対を押して実施》

 本年度になって、中山文科相が総合学習、近藤審議官がさらに小学校の生活科の見直しも検討する方針を相次いで発表した。

 生活科は小学校一、二年の理科と社会科を統廃合して九二年度から、総合学習は他の教科の時間を削減して二〇〇二年度から、それぞれスタートした。共に体験を通じて、社会や自然について学ばせるというものである。

 科目を統合した教授法については、第二次大戦直後にも、自由研究などの名で、現実の生活での問題解決型学習の試みがあった。このような学習が効果をあげなかった反省から、分野別の教科学習が確立されてきたという歴史がある。

 生活科は、八六年六月に、発表して新設された科目である。当初から、理科、社会に、道徳や図工も取り入れた統合教科として位置づけられていた。

 社会科や理科に関係する学会の学者グループと現場の教員は、

(1)二つの教科の廃止の理由が明確でない

(2)戦後の一時期に盛んだった「経験学習」同様、新教科の性格があいまいで現場の混乱が予想される

(3)早い時期からの科学的思考力の積み上げを妨げる

-などの理由で、反対していた(八六年七月三十日付朝日新聞)。

 生活科を実施したその指導要領自体が、授業時間と内容を削減し、科目選択制を拡大するなど、ゆとり路線を鮮明にするものであったため、父母や現場に反対が多かった。そんな状況でも、文部省(現・文科省)は、あえて生活科の新設に踏み切ったのである。

《教科再編には踏み込まず》

 小学校低学年では、教科も子どもの身の回りの物事や環境から気付かせるのが主なのは確かである。とはいえ、導入部分を廃止すれば、その先の指導が難しくなる。丸、三角、四角の形の違いは当たり前だからと、教えるのを止めれば、算数で図形の角度や面積の学習へと進んでゆくのに支障が出てくるであろう。

 物理学会は、九四年に、生活科では「物理学的な視点が全く姿を消している」として、理科の授業の復活を強く求めた。そして、「安易に融合科目を新設しても、その授業がほとんど無駄になる」と、生活科などの考え方そのものを疑問視して、指導要領の見直しを求めている。しかし、まだゆとり教育全盛でもあり、批判はすべて無視された。そして、総合学習が、小学校三年生から高校三年生まで新設された。

 九〇年代には、組合系や、子ども中心主義教育を提唱する教育学者の人々の言動が、文部省(同)の教育改革と符合してくる。九四年秋に開かれた日教組の集まりで、山内旭川大教授は、週五日制の完全実施をにらんで、教科統合を含めた新しいカリキュラム作りをすべきだと述べている。

 生活科と総合学習の実施は、さらに、教科を再編成して、体験学習で指導するための布石であったようである。長尾大阪教育大教授は、総合学習について「総合学習の導入は評価できるが、『教科内容の厳選』は、従来型の内容を間引いただけという印象が強い。二十一世紀に向けた教育を考えると、教科そのものの再編にまで踏み込まなかったことに不満が残る」と述べている(九八年十一月十九日付朝日新聞)。そして、二〇〇一年十二月に、文科省は、教科の再編・統合を含めた教科のあり方について検討すべく、中教審に議論を求める方針を明らかにした。

《期待したい文科相の英断》

 二〇〇一年には、品川区の小学校二校と中学校一校が研究開発校に指定され、「系の学習」、たとえば、理科と算数・数学を自然系という一つの科目として学び課題探究学習を行っている。さらに二〇〇四年度も、神奈川県相模原の小学校が、教科を統合した学習の研究開発校に選ばれている。学力低下の指摘とゆとり教育批判がある中で、教科統合への準備が進められているのである。

 昨年十二月に物理関係三学会が、中教審への意見書を提出し、理数系三十四学会が現行指導要領の改訂を求める提言を公表した。どちらの提案でも、総合的学習の時間の見直しを求めている。また、物理学会は必修科目の回復と、意欲・関心・態度を点数化する現行の観点別評価を廃止することも要求している。

 過去に失敗し、これだけ批判もある生活科や総合学習を、小学校一年から高校三年まで現場に強制したことは明らかな誤りである。総合学習を廃止または任意化することで教育を正常化する英断を、中山文科相には期待する。

コメント (0) | トラックバック (0)





◆生命力にも影響する学力の低下

◆教育(ゆとり教育・学力低下) / 2005年03月05日

◆生命力にも影響する学力の低下

 学習塾講師 中岡秀彰 33(広島県府中町)  産経新聞

 先月、タレントの黒柳徹子さんがパーソナリティーを務めるトーク番組を見ていた。ゲストは作詞家の永六輔さん。二人のおしゃべりは得も言われぬ味わいがあり、聡明な人たちの会話はそれだけで娯楽性と芸術性を帯びているものであることを実感した。

 現在、中学生の教育に携わっていて肌身に感じることは、こうした打てば響くような聡明さが急速に失われつつあるということである。感覚としては、精神的年齢が五、六歳ほど後退した感じである。

 立体図形などの幾何学分野を教えていて痛感するのだが、いろいろ視点を変えて思考するという作業を怠っている生徒が実に多い。というよりその思考作業によって、脳が早くも疲労困憊(こんぱい)しているというのが正確であろうか。

 こうした思考力のスタミナ不足のことを学力低下と呼ぶのであれば、これほどお気楽なことはない。明らかに生きていく力である生命力の低下である。青少年が抱える引きこもりや就労意欲の低下、薬物乱用や短絡的犯行の増加などの諸問題は、自分の将来の夢に対するプランニングにちょっとした想像力があれば、抑制できるだろう。

 その想像力や創造力を伸ばすための「ゆとり」ならば、大いに結構なことである。しかし、現場の意見を述べるなら「この三年間は一体なんだったのか」という空虚感のみが先立つ。

 一方こうした青少年問題の元凶は、われわれ大人にあるということを自覚せねばなるまい。元来青少年期は快活な想像力を伸ばし、働かせる時期である。この十年、大人は豊かな想像力を刺激するに足る未来図を青少年たちにどれだけ提示し得たであろうか。与え続けた幻滅の反映が青少年の行動にほかならない。

 心が心を育てる以上、教育の制度や枠組みだけでは絶対に人材を育成することはできない。まず大人が悪(あ)しき物質崇拝を改め、青少年のよき想像力をかきたてる明るい未来図を提示して、実現のため青少年に協力を呼びかける姿勢を持つことが必要なのではないか。

コメント (0) | トラックバック (0)





◆総合学習見直し 「ゆとり」弊害、他教科圧迫

◆教育(ゆとり教育・学力低下) / 2005年03月05日

◆総合学習見直し 「ゆとり」弊害、他教科圧迫

学力低下加速、現場努力も限界に 平成17年1月23日 産経新聞

 日本の子供の学力低下をめぐり「ゆとり教育」を見直す動きが広がっている。中山成彬文部科学相が「ゆとり」の象徴でもある「総合的な学習の時間」について「主要科目の時間をどう確保するか。総合学習も含め、全体でどうするかだ」と削減を示唆したことを受け、小泉純一郎首相も施政方針演説で「学習指導要領全体を見直す」と述べた。鮮明になった「ゆとり」転換。昭和四十年代のピーク時より義務教育九年間で千時間も減った授業時間の中でどう子供たちに教えればいいのか、現状と課題を探った。(豊川雄之、田中万紀)

≪足りない時間≫

 「数学の時間が減ってしまい、少し深く教えようとすると時間が足りない。総合(学習)も削ってもらえるとうれしい」

 「理科は数年前の週四時間から、週二・三時間に減った。入試の勉強をする余裕はない」

 文科省が現場の声を吸い上げようと始めた「スクールミーティング」で、中山文科相に対し、現場の教師は口々に授業時間の不足を訴えた。

 平成十四年度に完全実施された現行学習指導要領では、土日休業の学校週五日制に加え、週三時間新設された総合学習が他教科を圧迫。義務教育九年間の総授業時数は最も多かった昭和四十年代と比べて千時間以上も減少した。小学六年では、国語が昭和四十年代の週七時間から五時間、算数も週六時間から四・三時間に減っている。

 総合学習には教科書がなく、題材選びや指導法は個々の教員に任されている。それだけに授業内容は教師の準備や力量に左右され、課題を与えられた子供がインターネットで資料を探して印刷し、ノートに張るだけの「授業」になっているケースも少なくない。

 義務教育九年間で行われる総合学習は七百時間前後。中学三年間で三百十五時間しか学ばない英語の倍以上を費やすことになる。

≪ゆとり失った≫

 こうした実情について、大学生の学力低下を世に訴えた「分数ができない大学生」の著者、西村和雄・京大教授は「ゆとり教育の最も大きな弊害は、子供も教師もゆとりを失ったことだ」と批判する。

 「教科書の内容を減らしすぎ、反復の時間もなくなって、子供はかえって授業が分からなくなった。総合学習は内容が抽象的すぎ、ちゃんと授業をできない先生がほとんどだろう」とした上で、「個々の教科の充実を通じてこそ達成できる『生きる力』の育成を、総合学習でやろうとしたのが間違い」と指摘する。

 もっとも現場からは、「導入から三年で、ようやく教師が対応し始めたところ」(中部地方の指導主事)と、見直しは時期尚早の意見も聞かれる。しかし「実質的に勉強時間が削られているのだから、現場に努力しろと言われても限界がある」(九州地方の指導主事)と中山文科相の方針を支持する声も大きい。

≪大臣主導≫

 中山文科相の「総合学習見直し」発言は十八日に、宮崎県小林市で行われた第一回「スクールミーティング」の後に飛び出した。この発言の直前、「文科省は(学力低下を)認めたがらないが、私はゆとり(教育)も原因の一つだと思っている」とも述べており、「ゆとり見直し」には積極的だ。契機となったのは、昨年末に発表された経済協力開発機構(OECD)の学力調査。日本は読解力が四年前の八位から十四位に転落した。ゆとり教育を進めてきた文科省は当初、「成績は依然上位にある」と強弁したが、文科相は「低下傾向にあることをはっきり認識すべきだ」と発言し、認識を覆させた。「ゆとり見直し」は、大臣が事務方を強く引っ張る形で進んでいる。

 文科省は今後、総合学習の実態を調べ、土曜日や夏休みの活用を含めた義務教育の改革を中央教育審議会に諮ることにしている。銭谷真美・初等中等教育局長は、文科相の「総合学習見直し」発言の翌日、「OECD調査で低下した学力は、現行指導要領が目指す学力と軌を一にしている。改めるべきは果敢に見直していく」と、改革に前向きな姿勢を見せた。今後は大臣と省内が一体となって、学力低下の現状を総括した上で明確なビジョンを策定することが求められている。
by sakura4987 | 2006-03-19 17:20

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987