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◆【断】「公」は束縛をも受け入れる愛

 さて、きょうから「公」を考えることになった。公というと、どうしても固いイメージが強く、一部のひとたちは、個人の幸福を侵すもののように主張する。しかし、私が理解する「公」は、それとは違うものだ。

 まだ幼稚園にあがるかどうかのころ、私は近所の家でおやつをいただいたのに、母親に黙っていたことがある。案の定、数日して私は母に叱(しか)られた。「ちゃんとごちそうさま、っていったよ」と言い訳した私に、母は言った。「あなたがよくしてもらったことは、私がよくしてもらったことと同じなの。だから、お母さんからもごちそうさまをいわないといけない。あなたが黙ったままだと、お母さんが『礼儀知らずね』って笑われるのよ。お母さんが笑われてもあなたは平気なの?」

 こういわれて私は、本当に悲しくなった。自分が笑われるのはまだしも、母が笑われるのは嫌だ。

 「これからは、絶対にお母さんにいいます」

 そう母に約束したのを覚えている。そのとき私は微塵(みじん)たりとも、「自分より世間体が優先された」などとは思わなかった。私は母のために、ちゃんとした娘になりたいと思ったのだ。愛しいひとに恥をかかせたくないのは当然の心の動きだ。

 つまり、それが私にとっての公の始まりだった。愛しいひとのために、公で評価される振る舞いを身につけたいと思ったのである。

 それで多少の束縛は増えるのかもしれないが、愛のためならなんでもない。公とは束縛さえ引き受ける愛であり、個の延長線上にある。それは民の自由を制限する権力のような矮小(わいしょう)なものでは決してない、と私は思うのだ。(漫画家・さかもと未明)
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by sakura4987 | 2006-03-21 12:38

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