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◆日本海海戦100周年を記念、海上自衛隊大湊音楽隊が演奏会(BNN)

http://www.bnn-s.com/bnn/bnnMain?news_genre=2&news_cd=220011027265#

05月14日 (土) 18時17分

日本海海戦100周年を記念、海上自衛隊大湊音楽隊が演奏会



大湊音楽隊

文: 東   写真: 東 

 日露戦争をテーマに国際ジャーナリストの工藤雪枝氏が講演。

 5月14日午後2時から札幌教育文化会館で「日本海海戦100周年記念ー講演会・音楽演奏会ー」が開かれた。日本海海戦100周年記念大会と、旧海軍・海上自衛隊OBで構成する北海道水交会の共催。

 明治38年(1905年)5月27日未明、日本海軍の哨戒艦「信濃丸」は、ウラジオストックを目指すロシア海軍のバルチック艦隊(第2太平洋艦隊と第3太平洋艦隊の総称)を対馬の南方海域で発見。

 ロシア艦隊の発砲で日本海海戦が始まった。日本の連合艦隊は翌28日までにバルチック艦隊を迎撃。ウラジオストックにたどり着いたバルチック艦隊
は、38隻中、わずかに3隻だった。

 会場にはこの時、信号旗として使われた「Z旗」(※)と海上自衛隊の自衛艦旗である「十六条旭日旗」が掲げられた。

 講演は「日本の栄光と孤独ー世界史的に見た日露戦争の歴史的影響ー」を演題に、国際ジャーナリストの工藤雪枝拓殖大学客員教授が行った。

 工藤氏は北海道の美幌町出身。父が元自衛官で弟も自衛官である同氏は、日露戦争を“栄光”、大東亜戦争を“孤独”な戦いとして次のように語った。

 「日露戦争は調べれば調べるほど素晴らしい戦いをした。日本人としては誇りに思えるものだった。当時のアジアは、ドイツ、ロシア、フランス、イギリスが分割して領有する危うい体制にあり、ヨーロッパの国々は、日清戦争で勝利を収めた有色人種の日本に対する恐怖感があったと思う。歴史家は日露戦争をしないというオプションもあったのではないかと言うが、それでは北海道が日本からなくなっていたと思う。ロシアの海軍学校のテキストには、海戦の1年前から日本を壊滅させなければならないと書いてあった」

 「当時の外務省はよく世界を見て、情報を収集し、戦争を始めた時から国際世論が日本に向くよう努めた。日英同盟なくしてロシアには勝てなかったが、人民を巻き込まずに行った最後の戦争だった。日本は国民が納得しなくとても、終戦工作のため、一番良い妥協線を探った。アメリカの教科書は、現在でも日露戦争を国民的大事業と書いているおり、同時に日本の教科書はまったく取り上げず、戦争に反対した人のことが書かれているとも記述されている」

 「大東亜戦争は、国際世論を味方につけることができなかった。日露戦争では重視していた情報収集を軽視したことで、さまざまな悲劇が起こった。有色人種の小さな国として、どこにも相手にされなかったが、政治力や軍事力が評価されることになった日露戦争のことを忘れずに伝えていかなければならない」

 続いて行われた演奏会では、約50年の歴史を有する海上自衛隊大湊音楽隊が、「軍艦」「広瀬中佐」「勇敢なる水平」などの行進曲や軍歌を披露した。

※Z旗 名前の通りアルファベットのZを表す国際信号旗。本来の意味は「引き船を求める」だが、旗鑑「三笠」に掲げられバルチック艦隊を撃破したことから、決戦時に「Z旗を掲げる」という慣用句となった。
by sakura4987 | 2006-03-21 12:43

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