◆平成16年7月3日 (土) 民主主義しかない現実
だが、その政党政治ないし民主主義も極めて短期間でもとの藩閥・軍閥政権に取って代わられた。昭和初期には軍部が完全に政権を握り、政党政治は姿を消す。
当時の憲法が、議会が首相を選ぶ議院内閣制でなかったこともあるが、大正デモクラシーを高く評価する岡崎久彦元タイ大使は「デモクラシーはデモクラシー自体によって滅ばされる」と述べ、その理由が政党自身の腐敗・堕落にあったことを指摘している。
例えば「平民宰相」ともてはやされた原の内閣は、発足後二年で早くも与党の政友会内部のポスト争いや利権争いが目につき始める。特に大正十年に原が暗殺されると、党内はドロドロとした権力争いに突入した。何とか後を継いだ高橋是清内閣は発足後半年余りで自壊し、政権は軍閥の手に移った。
こうした政党の腐敗・堕落はある程度避けられないことなのかもしれない。選挙という洗礼を受けねばならず、徒党を組む必要もある政党人の宿命とさえ思える。その代わり、大正の政党政治崩壊には政権の「受け皿」があった。エリート官僚や軍人である。
選挙の洗礼も数を頼む必要がなかった彼らは、権力的ではあったが、利権には比較的淡白だった。エリートであるがゆえに純粋に国を思う心も強かった。国民は政党政治の堕落を目にすると、そうした軍人や官僚を受け入れ、時には待望さえしたのである。
しかし今、いくら政党に絶望したところで国民に他の選択肢はない。軍事政権や社会主義独裁などを望む人はまずいないし、それは憲法上もできない。「自民党をぶっ壊す」と宣言し、これまでの政党政治のルールを無視するかのような小泉純一郎首相の政治姿勢が多くの支持を集めたのはわずかにそのはけ口だったかもしれない。それだけに政党は「民主主義しかない」という構造に甘えているように思えてならないのだ。
岡崎氏がよく引用するウィンストン・チャーチルの言葉がある。「民主主義は最悪の政治であるが、今までに存在したいかなる政治制度よりもましである」
この言葉の意味を最もかみしめるべきは当の政党政治家たちであろう。