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◆戦後の衆院除名第1号  共産川上氏が革命宣伝演説

◆【機関紙論評】政治評論家 山岡 尽忠 (世界日報)

陳謝を拒否し議院秩序乱す

 戦後の国会議員の除名第一号は参院議員で、衆院議員としては日本共産党の川上貫一議員(大阪選出)が第一号である。一九五一年のことで、除名理由は吉田茂首相の施政方針演説に対する代表質問の内容が、不穏当なもので、陳謝すべきとしたのにしなかったのは、議院の秩序を乱し品位を傷つけたから、といったものだった。

 これについて、党機関紙「しんぶん赤旗」(3・8)は、「知りたい聞きたい」欄で、東京の一読者による「メール問題で民主党の永田寿康衆院議員が懲罰委員会にかけられていますが、過去に国会除名された中に、共産党の川上貫一議員がいますが、なぜ除名されたのですか?」との問いに回答し、川上議員の除名は今の偽メール問題とは比較にならない不当なもので、「現憲法下であってはならない言論弾圧そのもの」だと主張し、川上氏の「一身上の弁明」を紹介している。

 前回の当欄で、マッカーサー占領下に共産党を“弾圧”したレッド・パージ(共産主義者の公職などからの追放)に対する歴史認識は、当時の客観情勢が正確にとらえられたうえで考察されなければ、独善主義に陥ると指摘したが、約一時間の川上演説がなぜ、二百三十九人の除名賛成に結びついたのか、当時の日本共産党の動向を知る必要がある。

 五一年一月二十七日の衆院本会議で行われた川上演説は、全面講和論が問題の一つになった。当時、ソ連も含めたすべての国と講和条約を締結するという全面講和か、ソ連などを除く多数講和かで、世論は二分していた。川上氏ら共産党は、ソ連の提案する全面講和論を主張した。

 また、当日の議事録を読むと、「注意しろ」「中止」「除名だ」といったヤジが飛び交うのは演説の中盤から。五〇年六月二十五日に勃発(ぼっぱつ)した北朝鮮による韓国への南侵について、国連軍が韓国防衛をしたが、吉田政権の安保政策は、日本に対して同様の出動が保障されるか分からない「危険保障」だと挑発し誹謗(ひぼう)している。

 そして、ソ同盟、中国、東ヨーロッパ、ベトナム、朝鮮などを、戦争に反対する平和勢力と決め付け、「吉田総理は、この強大な平和勢力を敵とし、日本人をこれと戦争させるつもりか」と事実関係が逆転した論で、吉田内閣を中傷し続けた。その時の自由党ら保守系議員には、米ソを中心とした東西冷戦の中で、日本に共産主義革命をもたらし、ソ連の支配下に置こうとするスターリンの野望をかなえようとする共産党議員の決意表明にも聞こえただろう。

 スターリン・ソ連が侵略勢力だったことは、今日の日本共産党も認めている通りの事実だ。共産、社会両党議員以外は、聞くに堪えなかったろうことは議事録からも推察できる。

 同年二月二日の懲罰委員会の議事録には、委員から「実は質問演説に名を借りた共産党テーゼの宣伝以外の何ものでもない」などの非難が噴出したことが記されている。「川上君の演説は、日本共産党の本旨である、人心を惑わしめ、これによって社会を混乱に陥れ、その虚に乗じて、暴力をもって革命を遂行せんとする底意に出たるものだ」とか「川上君は日本国籍を離脱して、第三国人になった。そういうものは国会の権威を汚すから処分しなければならない」との意見も出た。

 こうした声が出た背景には、日本共産党がスターリン指令による暴力革命路線を打ち出していたからだ。ソ連は四九年に中国を共産化し、五〇年には韓半島で南侵し、日本を共産化して、さらにベトナム、ラオス、カンボジア、インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポールなど東南アジアを次々と共産化する戦略だった。これに呼応して共産党は国際共産主義の連帯や「ソ・中・北鮮万歳!」を叫び、熱狂的な軍事行動に突き進んでいったのである。

 すなわち、五〇年一月のコミンフォルム批判により路線転換を迫られ、十月から共産党地下本部は「軍事委員会」を設置した。それを党機関が正式に決定したのが、ちょうど川上演説が行われていたころである。

 五一年二月の第四回全国協議会(四全協)では、党の経営・農村・学校の組織(細胞)を中心とした中核自衛隊をつくってゲリラ活動を展開する一方で、全国的な政治ストによって産業をマヒさせ、国内戦争へと進ませる武装蜂起方針を決定した。さらに、同年十月の五全協で、暴力革命を公然と主張し具体的な軍事行動を展開するようになったのだ。

 川上氏は、演説の最後の部分で、「ヤルタ協定は厳たる国際間の条約」であり、「これを破ろうとする者は、国際条約を無視し、国際道義を踏みにじる」もので、「千島列島を云々するものは、故意にソ同盟を誹謗」するものだと主張している。

 このことからも、共産党がスターリン側に立っていたことが分かろう。今日の共産党は「全千島は日本領」としているが、それとは百八十度違うソ連領と主張していたわけだ。要するに、共産党は外部の敵勢力(スターリン)に呼応して、その方針のもとに活動していた第五列の政党(革命組織)だったのである。

 当時の大橋法務総裁が「日本共産党は、朝鮮動乱発生後、大陸の共産主義者たちの不法侵略と相呼応して、国内民主主義に抗戦し、占領軍の、政策を妨害するがごとき行動を企図するにいたった」と述べていることからも分かるだろう。

 大橋総裁はさらに「ゴロツキとルンペンの犯罪団体に堕しつつある」との印象がある共産党に対して「法の保護を受ける価値があるか」検討中だと述べたが、やがて共産党の全国的な武装闘争から国民を守るために破壊活動防止法(破防法)を成立させたのだ。

 しかし、曲がりなりにも当時の選挙で選ばれた国会議員である以上、院としてはそれなりの対応をせざるを得ない。そこで、懲罰委員会は、「無礼の言辞を弄する」川上議員の演説内容は問題にせず、不穏当な表現に関してのみ「陳謝」することで済まそうと取りはからったが、川上議員はそれすら受け付けず、拒否したことで除名決議に至ったのである。

 「しんぶん赤旗」のいうような「暴挙」とか「言論弾圧」ではなく、国会を「革命の道具」(前党綱領)としか位置付けていなかった傲岸(ごうがん)な行動が原因となって、国会からの退場宣告となったのである。
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by sakura4987 | 2006-03-26 09:58

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