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◆ナンバー650号・王ジャパン世界一の誇り

MVPインタビュー松阪大輔

  -前略-

WBCはどんでん返しの連続だったけど、当初は日本代表の重みを分からない選手もいて、チームは決して一枚岩とは言えなかった。準決勝に進んでからですえ、ベクトルがビシッと揃ったのは、技術が均衡すれば、後は気持ちの差が出てくれる。2次リーグで韓国に負けたときに、国を代表する気持ちの差が出たと思った。

 イチローさんは「野球人生最大の屈辱」と言ったけど、僕はそんな言葉もでないほどショックだった。目の前でマウンドに韓国国旗を立てられた時は屈辱で震えそうになったけど、負けたんだから何も言えない。そんな自分が情けなくて悔しくて……。

 みんなも同じ気持ちだったんじゃないかな。そんな韓国に国の威信を掛けた闘いというか、命のやり取りをするような厳しさを教わったような気がする。だから準決勝で対戦した時は、最大の屈辱を味わった後だったので、日本の方が気持ちは上だった。完封までは想像していなかったけど、大差をつけて勝ちたいとみんな思っていましたからね。

 -後略-


イチローインタビューより

  -前略-

  「終わったあとの日の丸は、僕が持つしか絵にならないと思っていたので(笑)、願ったり叶ったりでした。監督は重かったですねぇ……僕は、世界の王選手を世界の王監督にしたかった。それがすべての始まりでしたから、その充足感はありましたよ」

 日の丸を手にしたまま、王監督のもとへ歩み寄ったイチロー。その時、風がイタズラをして、二人を日の丸がふわっと包み込んだ。ほんの一瞬、日の丸に包まれた中で、イチローは全てが報われる言葉を耳にした。「ありがとう、君のおかげだ」「最後にそう言ってもらったことが僕は何よりも嬉しかったです。日本ではあれほどのスーパスターでありながら、それでも選手を立ててくれる、本当に凄いと思いました」

 君のおかげだ―。

 この一言ですべてが報われた気がした。そう思うのも無理ないほどに、イチローは一ヶ月重荷を背負っていた。

  -中略―

 「ジャパンのユニホームを見る前kら、自分の中でイメージしていたんですけど、それがクラッシックスタイルだったんです。僕の中で、日の丸を背負うと言うのは日本の心を持って望むと言うことだと思っていましたし、意識の中から薄まっていく大事なものを思い返したいという気持ちはあったのかもしれません。それがあのスタイルであり、日の丸の重さだったんじゃないかと思います」

  11月21日の夜。イチローは王監督に電話をして、WBCへの出場の意志を伝えて。「それを聞いて、ホッとしたよ」「こちらこそ、光栄です」

 この瞬間から、世界にその名を知らしめた二人は、日の丸の重みを分かち合うことになった。それから119日後―イチローの一途な想いは結実したのである。


○王貞治・もっとも長き30日間
  密着ドキュメント

   -前略―

  五輪競技から野球が外れ、日本でも野球の人気に陰りが見える。現役の監督がシーズン開幕前の1ヶ月間チームを離れることに迷いはあったが、「泥をかぶる覚悟」で代表監督を引き受けた。少年野球の世界大会でもWBCも、野球を世界に広げるという意味では、理念は一緒と考えたのだ。

 「第1回だから引き受けるべきだと思った。問題はもちろんあるが、やりながら解決していくしかない。最初に誰かがやらなければ、次に進めないんだから」

  ただ取り巻く状況は厳しかった全面協力を約束していた日本野球機構は、12球団の支援を確たるものにできなかった。メジャーで活躍する松井秀喜の協力も得ることが出来なかった。しかし、王は恨み節を言わず、「日本メンバーの発表が早すぎた、メジャーのように2月になってからでもよかんたったんじゃないか」と庇うことさえした。

  日本代表といいながらアテネ五輪の時とは何もかもが違った。専属のコックは帯同できず、食事は選手個人任せだった。バッティングピッチャーも足りず、宮本が投げることもあった。

ー中略ー

 「王監督に恥をかかせられない」(イチロー)
 「王監督を胴上げしたい」(松中信彦)


ー中略ー

  決勝戦を前、王は別れを惜しむかのように、出番の少なかった選手たちに声をかけた、病後で苦しんだ和田一博、ベテランの宮本、谷繁。若手の新井貴浩には打撃理論まで語っている。ここまでこれたのは、それぞれのチームに帰れば主力選手でありながら、代表では控えに甘んじてくれた選手たちの貢献があればこそと思うようになっていた。

 優勝を決めても、口をつくのは選手を讃える言葉ばかりだった。

 「最初どこでもそうかもしれないが、ごたごたしていたと思う。だが、戦って勝つうちに、チームは一丸となってきた。私は国際試合の経験が少ないので、メジャーにいるイチローと大塚に投打を任せていたが、チームをよく引っ張ってくれた。この大会を通じて、野球って、素晴らしいなとみなさんにわかって
もらえたのがうれしかった」


○大塚
メジャーの意地とジャパンの誇り

  「野球選手をやっていると家族と過ごす時間はどうしても少ない。でも父親の仕事を誇りに思ってもらいたいし、何より父親が日本代表だということをみてほしかった」

 「海外に出れば、日本を余計に感じるんです」

 決勝戦の試合前、大塚は王監督にこう言われている「2回投げてもらうかもしれない」

 「大和魂です」と即答した大塚。


ー中略ー

9回裏、1点を失ったものの、世界一まであと一死、王監督がタイムをとる。マウンドに来ると「あと一人だからな」

 大塚が、最後の打者をスライダーで三振にとり、日本の優勝が決まった。

 「このメンバーと別れたくなかった。少しでも長くジャパンでいたかったから、最後までロッカーにいました、いいチームでした」


○松中信彦

  「野球人として自分を追い詰めていく選手は少ないのかもしれない。その必要もないのかもしれない。でも、自分の一番身近にそういう王監督がいらしゃる。監督はそういう野球人生を歩んできたんじゃないかと思うんです。9年間身近にいて、いろんなことを教えてもらった。最初は監督を雲の上の人だと思っていたんですが、だんだん身近な存在に思えるようになりました。

 そういう気持ちになってみると、王監督みたいな人間、野球人になりたいという思いがどんどん大きくなる。監督はもっと大きなプレッシャーの中でやってきた。ぼくのプレッシャーなんて大したことじゃない。もっともっと追い込んで、もっと成長して監督に近づきたい。監督の域に近づけばわかることも多いと思う。だから自分を追い込んでいるところもあります」
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by sakura4987 | 2006-04-09 12:24

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