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◆白鴎大学法科大学院教授・土本武司 苦痛を経ての死も人は受容すべきか

(産経 06・4・17)

生命の意義は「長さ」よりも「質」

≪安楽死全てが犯罪の日本≫

 富山県の射水市民病院で、入院患者七人が、同病院の外科部長により人工呼吸器を取り外されて死亡したことが発覚、にわかに「安楽死」問題が世の関心を呼ぶことになった。この事件に関しては、病院関係者などの安楽死に関する知見の乏しさ、または誤解が見受けられるので、それを指摘しつつ若干の言及を試みたい。

 安楽死とは本来、安らかに死なせるために、薬物の投与などにより生命を終結させる積極的安楽死(殺害型安楽死)を指す。しかし、安楽死はそれにとどまらず、治療行為を行わないことにより寿命をちぢめる消極的安楽死(不作為による安楽死)、苦痛除去のために鎮痛剤の投与量を引き上げた結果、その副作用で生存期間が短縮させられる間接的安楽死(治療型安楽死)をも含んでいる。

 積極的安楽死は死を与えるものであるのに対し、後の二つは死に近づけるものという差異はあるが、人為的に死期を早める行為であることには変わりがない。今回のような人工呼吸器の取り外しは、医療上取り付けるべきものを取り付けなかった場合と価値的に同一視できるから、消極的安楽死の一種といえる。

 事件発覚直後、射水市民病院の関係者は、「本件は安楽死ではなく、延命の中止である」と釈明した。だが延命措置の中止は、すなわち安楽死なのである。そして現在の日本では、いかなる形態の安楽死も犯罪である。患者の要請に基づかない場合は殺人罪、要請に基づいた場合は嘱託殺人罪、承諾があった場合は同意殺人罪が成り立ち、行為の態様によっては自殺幇助(ほうじょ)罪になる。

≪タブー視され低調な議論≫

 安楽死につき世界の先端を走っているオランダも、二十年前までは、これを違法視して訴追・処罰してきた。だが、二〇〇一年、ついに一定の要件の下では、安楽死について刑法上の違法性はないものとする立法がなされた。

 これは一九八四年、オランダ最高裁が、「耐え難い肉体的苦痛を受けている患者から苦痛を除去するには死以外の方法がないときは、その苦痛から患者を助けるべき義務の方が、法を順守して患者の生命を尊重すべき義務より優越する」と判示したことが契機となった。

 しかし、わが国では依然として安楽死がタブー視され、これを合法化する方向への議論は低調である。安楽死が刑事裁判の対象となった例も十件前後(そのうち医師が安楽死を施したのは二件のみ)ある。そのすべてが違法・有罪とされ、適法・無罪とされたものは一件もない。

 このように安楽死合法化論が低調なのは、次のような理由によるものであろう。

 一つは、安楽死を肯定すると、生命軽視の風潮を加速しかねず、それを望まない患者にまで実施される恐れがあること。二つ目は、かつて医療現場では、医師がすべてを決定することができたが、安楽死問題はそれを不可能にしかねないこと。三つ目には、日本ではまだまだインフォームド・コンセント(説明と同意)が徹底しておらず、医師に対する患者側の根強い不信感があること-などだ。

 しかし、今や安楽死に積極的意義を見いだすべきときである。「生命不可侵」を絶対視する宗教的・倫理的生命観を前提とする限り、人為的に生命を短縮させる安楽死は、神の摂理に反するものとして正当性を持ち得ない。しかし、それでは患者は、苦痛のフルコースを経た後でなければ死んではいけないということになる。

 生命の意義は「長さ」にあるのではなく、「質」にあるのではないか。そして、その「質」もまた、他人ではなく本人自らが決定すべきものである。そこに安楽死の今日的意義が見いだせるのである。

≪まず全国的な実態調査を≫

 かかる安楽死観に立って、私は次の二つを提言したい。その一つは、厚労省、法務省が中心となって、末期医療の実態調査を全国にわたって実施すること。積極的安楽死はともかく、消極的・間接的安楽死は事実上、かなり行われていると推測されるのであるが、その実態を浮き彫りにするのである。

 その上で、第二に安楽死合法要件を策定し、それを刑法上、違法性阻却事由として国会審議に付し、適法な安楽死と違法なそれとの区別を明確にする立法をする。その際、合法要件として最も重要なものは、本人の意思である。

 医師は、その合法要件を順守している限り、犯罪者の烙印を押されることなく安楽死を実施することができるようにするのである。(つちもと たけし)
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by sakura4987 | 2006-04-20 10:11

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