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◆靖国神社『遊就館』を歩く  『自存自衛の戦争』 記録映画で解説

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20060417/mng_____sei_____006.shtml

1階にゼロ戦などが展示されている靖国神社内の展示館「遊就館」=東京都千代田区で

 東京・九段の靖国神社境内にある展示館の「遊就館」。「日本による侵略戦争を正当化している」と指摘され、内外の批判にさらされる施設だ。遊就館には、何がどのように展示されているのか。二十一日からの靖国神社春の例大祭を前に、訪ねた。 (篠ケ瀬祐司)

 大鳥居から参道を約五分歩いたところに、遊就館はある。

 建物に入ると、玄関ホールに展示されている零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を、若いカップルらが囲み、カメラ付き携帯電話を構えていた。

 まず映像ホールで、ドキュメント映画「私たちは忘れない 感謝と祈りと誇りを」を見る。

 映画は、当時の映像や関係者の証言を織り交ぜ、日本が明治維新以降、欧米諸国に植民地にされないよう努力してきたことを繰り返し説明している。

 太平洋戦争開戦の経緯を説明するナレーションは「権益を捨てて、日清戦争以前の日本に戻るという道もあったのではないかという人もいる。しかし、それは戦争をしなくても、戦争に負けたと同じことで、選択の余地はなかった」と訴え、「極東の小国・日本が、大国を相手に立ち上がった自存自衛の戦争だった」と結論づけている。

 映画を見終わった年配の女性は「なぜか分からないが、涙が出る」とハンカチを目頭に当てた。

 展示室では、日本がかかわった戦争を古代から時代順に、パネルや軍隊関係の品々で当時の様子を説明している。

 「支那事変」(日中戦争)の部屋では、「盧溝橋の小さな事件が中国正規軍による日本軍への不法攻撃、そして日本軍の反撃で北支那全域を戦場とする北支事変となった。背景には日中和平を拒否する中国側の意思があった」と説明している。

 「大東亜戦争」(太平洋戦争)の部屋では、開戦までの経緯について「(米国の)ルーズベルト大統領に残された道は、資源に乏しい日本を禁輸で追い詰めて開戦を強要することであった」と説明。一方、日本の立場は「米国との関係改善の方策として、近衛(文麿)内閣は(日独伊)三国同盟を決定し、米国を威圧して戦争を回避する政策を決定した」と紹介している。

 続く「靖国の神々」は、戦没者の遺影や遺書が展示されている。若い女性がたたずんでいたのは、特攻隊として出撃した古川正崇少佐の遺書の前。「戦争ヲ憎ムガ故ニ 戦争ニ参加セントスル我ラ若キ者ノ純真ノ気持ヲ知ル人ノ 多キヲ祈ル」とある。

 約五千枚の遺影の中に、A級戦犯として東京裁判で死刑判決を受けた東条英機元首相も「陸軍大将 東条英機命(みこと)」として掲示されている。隣は、若い陸軍軍曹の遺影だ。

 見学の感想を記すノートがある。

 「『大東亜』に負けてしまって日本は『悪』にされた。当時の日本はすばらしかった」(十三歳)「アジアの人々への差別など多々あったはずだが、それはすべて割愛というのは虫がよすぎる」(四十八歳)
 まさに賛否両論の感想が書き込まれている。

 (メモ)遊就館(ゆうしゅうかん) 1882年(明治15年)、慰霊顕彰と、近代の歴史を伝えるために建てられた。戦後は靖国神社宝物館と改められたが、1986年に遊就館として再開。2階建ての展示スペースは約1万1200平方メートル。遺影を除き、約3000点の遺書や絵画、兵器などが展示されている。館名は漢籍「荀子」に由来し「高潔な人物に交わり学ぶ」の意。
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by sakura4987 | 2006-04-22 10:47

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