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◆靖国神社・故筑波宮司:「天皇参拝」配慮し合祀避ける 

(毎日 06・4・29)

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060429k0000m040198000c.html

 終戦直後から1978年まで靖国神社の宮司を務めた故・筑波藤麿(つくばふじまろ)氏が、第二次大戦のA級戦犯合祀(ごうし)を意識的に避けていたことが同神社元広報課長らの証言で明らかになった。続いていた天皇の参拝の妨げになりかねない、との懸念を示していた。

 筑波氏は78年3月に亡くなり、間もなく後任宮司によってA級戦犯が合祀された。合祀については旧厚生省が作成した名簿が神社側に送られたことが決め手となった、との指摘があるが、それに至る経緯が複雑だったことを裏付けた形だ。

 筑波氏は旧皇族の出身で46年に第5代宮司に就任、在職のまま73歳で死去した。後任宮司の故・松平永芳氏が78年10月、東条英機元首相らA級戦犯14人の合祀に踏み切った。

 今回、筑波氏の側近だった同神社元広報課長、馬場久夫さん(81)と、筑波氏の長男で元早稲田大教授の常治(ひさはる)さん(75)が個別に毎日新聞の取材に応じた。

 馬場さんによると、48年に東条元首相らが処刑されて間もなく、筑波氏に合祀について考えを聞いた。その際「宮内庁の関係もある。合祀は自分が生きている間はおそらく無理だろう」と説明したという。

 「生きている間は無理」との表現について馬場さんは「事実上、合祀はしない意向だったと思う」と説明。「宮内庁の関係」という表現については天皇の参拝に影響することを懸念していた、と指摘した。

 筑波氏は「国民の中には『東条憎し』で凝り固まっている人がだいぶいる」と国民感情への配慮も語っていた。

 一方、常治さんによると、筑波氏は「BC級戦犯は一般兵士と同じ犠牲者だが、A級戦犯は責任者だ」とも述べ、合祀への慎重姿勢を終生変えなかった。靖国神社には旧厚生省からA級戦犯の名簿が66年に送られ、信徒代表らで作る総代会は70年に合祀する方針を決めた。

 しかし、扱いを任された筑波氏は病死まで合祀をしなかった。天皇の参拝は昭和天皇が45年以降戦後8回行ったが、75年以後は途絶えた。A級戦犯合祀に配慮した、との見方もある。


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◆東京裁判:評価変遷 米軍、私信検閲で把握 (毎日 06・4・30)

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060430k0000m040131000c.html

 東京裁判について1946年の開廷間もない時期に国民の約8割が支持していたのに、48年の判決時は半数が否定的な見方だったことが、当時私信を検閲していた米軍機関がまとめた報告書(月報)から分かった。

 川島高峰・明治大学助教授と毎日新聞が、月報を分析調査した。川島助教授は「従来、感覚的に語られていた当時の国民の思いがデータとして確認できた。今日まで続く東京裁判への評価の変遷がうかがえて興味深い」としている。

 私信検閲は、米軍傘下の民間検閲支隊(CCD)が実施。45年10月~49年にかけて東京、名古屋、大阪、福岡などで行われていた。結果を46年9月から「PERIODICAL SUMMARY(定期刊行物要約)」の題で月1、2回程度報告書にまとめていた。

 月報には「戦犯裁判への反応」の欄があり、川島助教授は米国立公文書館に所蔵されていた月報のコピーを「占領軍治安・諜報(ちょうほう)月報」(現代史料出版)として、順次出版している。

 月報の46年9月15日付(2号)は、検閲私信のうち約460通に戦犯裁判に関する記述があり、80%程度が裁判に賛意を示すと報告。当時は検察側立証が行われており、翌10月1日付(3号)も「80%が裁判は公正と考えている」などと記載している。

 だが、47年末に被告の東条英機元首相が「自衛戦だった」と証言した後に一変。48年2月15日付(25号)は40%が裁判に登場する被告を非難する一方、30%が東条被告を称賛していると報告している。

 3月15日付(26号)は、東条被告への信頼と支持を示す手紙が60%あったとする。「特に20~30代に目立つ」と危機感を示したうえで、「戦時中のプロパガンダの浸透を示す」と分析している。

 月報によると、東条被告への支持は、この後急速に冷めたが、東条被告ら7人の絞首刑執行(48年12月23日)直後の49年1月15日付(36号)では、裁判全体への賛否が54対46とほぼ二分。量刑の妥当性についても23%が同意を示す半面、49%が不当と考えているとまとめている。

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 東京裁判は戦時中の指導者28人が「平和に対する罪」などに該当するA級戦犯として起訴された。ほかにも岸信介・元国務相(後に首相)ら戦前の閣僚らがA級戦犯容疑者として逮捕されていたが、7人の絞首刑が執行された翌日、全員の釈放が発表された。

 川島助教授は「予定されていた2次裁判などが取りやめになった背景に、私信検閲で日本人の反感が高まっていることを知ったことがあるのではないか」と話している。


▼吉田裕・一橋大大学院教授の話

 マッカーサー司令部は、占領政策を日本人が受け入れているか神経質になっていた。東京裁判について世論調査することは、占領軍批判につながりかねないため、検閲で本音を探るという手段を使ったのだろう。

 東京裁判の進行に伴って日本人の受け取り方が変わっていったことが裏付けられ、貴重だ。当初、国民は東京裁判を受け入れていたのだが、内容を知るにつれ疑問に思うようになったのだろう。東条被告への好感が一時的に高まり、直後に揺り戻しが起きたことなど興味深い。
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by sakura4987 | 2006-05-03 11:26

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