★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

◆【オピニオンアップ】論説委員 岡芳輝/戦没者慰霊は国家の義務

≪1995年08月06日 産経新聞 東京朝刊 ≫


 ◆地中海見下ろす独慰霊廟

 エジプトのカイロから砂漠道路を車で飛ばしていくと、二時間余りで地中海に出合う。それをさらに西に辿ると、第二次大戦の激戦地、エルアラメインである。

 一九四二年十月、北アフリカを驀進していた“砂漠の狐”ロンメル将軍率いるドイツ、イタリアの枢軸軍八万と、モントゴメリー将軍が指揮する英国、オーストラリア、エジプトなどの連合軍二十三万がここで衝突した。

 十日余りの戦闘で、連合軍が枢軸軍を撃破、これが第二次大戦の転機になって、枢軸軍は敗退していく。

 道路から少し離れると、いまだに当時の地雷が埋まっているそうだが、なだらかな起伏がどこまでも続く土漠地帯は、強烈な太陽のもとで静寂が支配し、古戦場の面影はかけらもない。

 年間降雨量ゼロ、からからの小高い台地に突然、石造りの廟が現れる。戦後、ドイツが建立した自国戦没将兵のための慰霊廟である。

 近づくと、中庭を取り巻く八角形の回廊型の廟は、意外に大きくて、ちょっとした音楽ホールの趣すらある。

 回廊の一辺ごとに三基の石棺が安置され、その上に緑濃い月桂樹のリース。壁面には北アフリカ戦線で散った四千二百人の戦死者すべての名前が刻まれていた。

 コバルトブルーの地中海を見下ろすたたずまいといい、戦没者を慰霊しようとするドイツ政府の真摯(しんし)な配慮が痛いほどに伝わってくる。

 ドイツだけではない。イタリアもこの近くに慰霊廟を建て、陸軍中佐が管理に当たっている。エルアラメインで戦った各国は、毎年合同慰霊祭を営み、五十周年の三年前は、英国のメージャー首相や各国国防相が列席したそうだ。

 戦いが終われば、国家に殉じたそれぞれの戦没者を弔い、慰めるのは、かくのごとく当然の作法なのである。


 ◆中国のクレームで中止

 しかし、世界でただ一国、日本だけはこの常識のパイプがどこかで詰まっている。国家による戦没者の慰霊が、このところなおざりにされているのである。

 十年前の昭和六十年八月十五日に中曽根康弘首相が、内閣総理大臣としての資格で靖国神社に参拝したあと、首相、閣僚、皇室の参拝が過去十年間中止されたままなのである。

 なぜか。中国が中曽根首相の公式参拝に強いクレームをつけたからだった。中国の“ものいい”は、最初は日本の新聞の「靖国参拝」批判を紹介する形で始まり、次第にエスカレートしていった。

 首相の靖国参拝は軍国主義台頭の兆しであり、戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社への公式参拝は、中国人民の感情を逆なでするものだというのが反対の趣旨だった。

 九月七日には、彭真・中国人民代表大会委員長が「靖国参拝は日中関係にとって不利なことである。不利なことはやめたほうがよい」と警告している。

 それから十年間、靖国神社に近寄らなかったわが国政府は、“中国の国民感情”には気配りを示しつつ、自国の国民にはどのような配慮をしてきたのか。

 その前に、なぜ諸外国は戦没者に手厚い弔意を表すのか。

 兵士たちの戦死と、戦火に巻き込まれた市民の死は、一般に厳然と区別される。

 兵士たちの戦死は、国家の命令によってリスクの高い任務に従事し、結果的に自らの生命を国家に捧げた殉職であるからだ。国家の命令の前には、兵士たちの拒否権や選択はいっさいない。

 国家の命令で国家に殉じた兵士たちを手厚く葬り、末永く慰霊するのは、したがって国家の責任であり、義務であり、礼儀であるはずだ。

 諸外国で戦死者を丁重に慰霊するのはこのためであり、英国もドイツもエジプトもそして中国もこの常識に変わりはない。

 そしてまた、戦いで命を失った戦士を敬う気持ちに国境があろうはずがない。かつての敵であるドイツに慰霊廟の建立を許しているエジプトがそのいい例だろう。


 ◆外国で献花した村山首相

 各国とも、戦没者を慰霊するメモリアル・デーには、大統領や首相が慰霊碑に花束を捧げ、外国を訪問した元首らが訪問国への礼儀として、戦士の墓に花輪を献じるのは、こうした気持ちの表れなのである。

 だからこそ、ことし一月十日、訪米した村山首相は、ワシントンに着いたその足で、アーリントン墓地に献花したではないか。

 こうして考えれば、中国のクレームに根拠がないことが分かるだろう。

 まして、靖国への公式参拝は、終戦間もない二十年十月二十三日に幣原首相が、また十一月二十日には昭和天皇が参拝されて以来、天皇皇后両陛下、皇太子殿下、歴代首相、閣僚が合わせて何十回もお参りされているし、五十九年八月十五日には中曽根首相が、六十年とまったく同じ条件で公式参拝している。なにゆえ突然の“不快感”だったのか。

 国家に殉じた戦没者に敬意を払い、慰霊するのは、国家の権利であり、義務である。この原則は、戦勝国、敗戦国を問わない。

 外国からとやかくいわれる筋合いのものではない。仮に靖国神社にA級戦犯が合祀されていたとしても、ここには戊辰戦争以来の戦死者二百四十六万六千二百人以上がまつられているのである。

 もうひとつは日本政府の無礼である。戦没者の慰霊は、戦死者に対する国家の最小限の礼節であり、将来の国家の安全もまたこうした国家と国民の信頼関係によっている。

 わが国の指導者たちが、中国のどう喝に屈して戦没者の慰霊すらできないならば、他日、国家が危機に直面しても、国家の命令で危険な任務に赴く人などいなくなるのではないか。

 国家のために死んでも名誉が与えられないと分かっていて、だれが国家を防衛しようとするのか。

 宗教以前の義務とかマナーに属するこの問題を、指導者たちは憲法や宗教問題と混同したり、見誤ってはならない。終戦から五十年目のことし、十年間のブランクを埋めて、皇室も政府も国家に殉じた人たちを改めて公式に慰霊してもらいたと願うのである。
[PR]
by sakura4987 | 2006-05-06 10:46

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987