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◆影落とす大統領岳父の墓

 (世界日報より)

村に悲痛な記憶残す/韓国動乱時に共産軍に協力

 盧武鉉大統領夫人・権良淑女史の父親が「非転向左翼勢力」として獄死し、慶尚南道馬山市に葬られていたことは、盧氏が大統領当選後に夫人と墓参りをしたことで一般にも知られるようになった。現在は地元警察の警備所が設置されているが墓碑は立っていない。

 墓碑がないのは、その場所を知られたくないからなのだろうが、警備所を造ってしまっては、「ここに墓あり」と宣伝するようなもの。

 それに大統領が妻の父親の墓に警備所を設置するとは何とも大げさな話で、権力の乱用にはならないのだろうかと思われるが、“親北反米”の左翼路線をひた走る盧大統領にとって、「良民虐殺事件」にも関与した岳父の墓が保守勢力の攻撃の的にされることだけは避けたいのだろう。

 現在の「思想的内戦状態」と言われる韓国と、まだ過去の内戦の傷の癒えていない韓国の現状を示す光景だとも言える。「月刊新東亜」(4月号)の記事「三年ぶりに訪ねた権良淑女史故郷の村」がその様子を伝えている。

 同誌によれば、大統領の岳父、故権五晢氏は韓国動乱当時、「土着左翼勢力」として、侵攻してきた人民軍に協力し「治安隊」を結成した。治安隊とは「共産軍占領地域内の後方補給隊であり、反動分子粛清隊であった」という。

 また、大検察庁公安部が発行した「左翼事件実録」(一九七三)には「権氏は共産軍占領地区内で反動分子に指名された者を粛清するために作った反動調査委員会副委員長兼調査員として活躍した」と、記されているという。

 権氏は昌原郡で民間人九人を虐殺した事件に関与したとして、終戦後拘束され無期懲役を宣告されて服役していた。途中、肺結核を患い、刑執行停止で解放され、五年間家族と暮らしたが、その後再拘束され一九七一年馬山刑務所で死亡した。

 この地区に限らず、韓国動乱当時、共産軍の支配下に入ったところでは、資本家や地主、宗教者、植民地時代の対日協力者などが「反動」と決めつけられ「粛清」された。

 逆に米軍が盛り返せば、支配は逆転し、共産主義者、人民軍協力者が捕まった。極端なところは「昼は米軍が支配し、夜は共産軍が支配する」という状況もあったという。

 そういう中で古くからのコミュニティー、人間関係はずたずたに切り裂かれ破壊されてしまった。韓国人の多くが当時の「恨み」をいまも引きずっているであろうことは容易に想像できる。

 ならば、治安隊として反動を粛清して回った権氏に向ける現在の村人の視線が厳しいものになるのは当然といえば当然だ。ところがその権氏が大統領岳父となると、感情の持っていき方も複雑になる。

 同誌は村人に聞き回っているが、「もう過去のことは忘れたい」として多くを語らない。

 「過去の清算」「親日家の財産没収」など、過去を掘り返して、遡及(そきゅう)法で現在の人を裁くことを繰り返す盧武鉉政権にとって、岳父の扱いをどうするのか。警備所は設置するが墓碑はたてない、という微妙なスタンスが盧政権の現状を象徴しているようだが、同誌はその追及を敢えてしていない。
by sakura4987 | 2006-05-13 09:01

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