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◆間違いだらけのNHK番組

2004.09.25

「日米開戦」でずさんな取材  武蔵野大学教授 杉原誠四郎

発見時期見落とし

 去る七月二十八日、NHK“その時歴史は動いた”で、「日米開戦を回避せよ」が放映された。あまりにも間違いが大きく、放映の価値が疑われるもので、このまま世間に定着してはならないものだった。

 実は平成十五年十二月三日にも同名の放映があり、今回の放映は事実上この十二月三日の放映の焼き直しであった。そして、この初回の放映は一部表現を修正して、去る八月三日付で『その時歴史は動いた』第二十七巻(KTC中央出版)に収録され出版されている。

 この初回の放映の骨子は、昭和十六年日米開戦に当たって日本側がアメリカの外交電報を解読していたことを、平成十三年神戸大学五百旗頭真教授のグループが初めて発見したというものだった。日本の外交電報がアメリカ側に解読されていたことはよく知られた史実であるが、実は日本側もアメリカの外交電報を読んでいたことが分かり、その解読電報を外務省の外交史料館で初めて発見したというのである。

 そしてその解読から、ルーズベルトが日本側に提案しようと準備させていた暫定協定案の内容を事前に知っていて、それで日本側の責任者東郷茂徳外務大臣は安心し動かなかった時期があるというのである。

 まず第一の大きな間違いだが、日本側がアメリカの外交電報を解読していた事実は、日本では、日米開戦時の駐日アメリカ大使グルーの書いた『滞日十年(上・下)』が昭和二十三年に翻訳されて、その中ですでに書いてあることだ。また外交史料館に保管されていた現物の解読電報史料は、私が平成七年に出版した『日米開戦とポツダム宣言の真実』(亜紀書房)で写真まで入れて解説していた。そこでNHKは、七月二十八日の放映や八月三日付の本では、「近年発見された」と言い換えていたが、その史実は日本で昭和二十三年の時点で活字になっていたことからしてあまりにも杜撰な取材である。

 第二の間違いは、東郷外務大臣はいわゆるハル・ノートを十一月二十六日付で突き付けられるが、それ以前に中国政府に向けて発信された電報を解読して、アメリカ政府の用意しかけた暫定協定案の内容を知って動かなかった時期があるというところである。

 日本大学大学院生の宮杉浩泰氏が私のために送ってくれた資料によれば、日本側が暫定協定案の存在を知ったのは、アメリカの国務長官ハルが日本にハル・ノートを突き付けた後、駐日大使グルーに向けて送った電報を十二月一日付で解読したことによることがはっきりしている。日本側が中国の外交電報を傍受し、ハル・ノートを受け取る前に知ることは、時間的に見ても無理と見るのが穏当のようだ。

残った事実明示を

 第三は、間違いというよりそれ以上に問題となるものである。当時、日本側は確かにアメリカの外交電報を解読していたことは事実であるが、もっと驚くべきことはアメリカ側は、日本がアメリカの外交電報を解読しているその事実を知っていたという事実である。

 グルーの部下エマーソンの回想録には、近衛文麿首相の秘書牛場友彦が昭和十六年八月の時点で、驚くべきことだが、エマーソンにそのことを知らせたと書いてある。NHKが日本側もアメリカの外交電報を読んでいたという史実を放映するならば、そのもう一つの重大な事実をも明示するものでなければ、この日本側におけるアメリカ外交電報解読の事実の全体は見えてこないではないか。あまりにも偏った杜撰にして間違った取材の放映であったといわざるをえない。

※NHKの戦争報道に共通して見られることは、「日本人が悪かった」と「日本人は馬鹿だった」である。どこの国の放送局か知らないが、受信料を払う必要はない。放送法に完全に違反している。これだけ情報が発達すると、そろそろ不必要になってきたのではないだろうか。役人や内部による改革など今の日本では無理。これも民営化にしてもらいたい。
by sakura4987 | 2006-05-13 10:32

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