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◆朝日新聞と朝日放送を非難する

◆【産経抄】

平成17年1月16日(日)産経新聞

 「慰安婦番組」改変の問題は、NHKが改変に政治家の関与を報じた朝日新聞に謝罪と訂正を求める事態となった。メディア同士の対立はさておくとして、今少しこの問題にこだわりたい。前によく似た事件があったことを思い出したからである。

 昭和五十七年六月、各新聞はその年の教科書検定の中身を報じた。中に高校の世界史で「日本軍が華北に侵略」とあったのを、検定により「進出」に書き換えさせられたというのがあった。このことを含めて「戦前の復権だ」と、検定批判を書きたてた新聞もある。

 この「侵略」→「進出」が実は全くの誤報だったのである。その教科書は最初から「進出」としていた。詳細は省くが、当時の文部省記者クラブの一記者の間違った指摘をみんなが信じてしまったミスである。当然、文部省は国会などで書き換えの事実を否定した。

 だが誤報を認めはっきりと「謝罪と訂正」をしたのは小紙だけで、大半は知らぬ顔を決めこんだ。このため一部では「検定による書き換え」が独り歩きを始め、いまだにこれを信じている人も多い。しかも問題はそれだけで終わらなかった。

 中国が待ってましたと日本政府に抗議してきた。「歴史の改竄(かいざん)だ」というのだ。今よりもっと中国に弱腰だった政府は「近隣諸国の批判に耳を傾け…」というとんでもない談話を発表、外国による教科書介入への道を開いてしまった。教育界における痛恨事である。

 今回のNHK問題でも、事の真相よりも早く「政治家の圧力による改変」が独り歩きしている。中国や韓国でも関心を呼んでいるといい、何らかの反応があるのは、時間の問題かもしれない。その原因を作ったのは、推測と伝聞だけの軽々しい「内部告発」だった。






※上記の記事を読んで、そう、そうとうなずいたが、どうしてもこの問題は徹底的に書かざるを得ない。左翼の連中の間では、安倍、中川両氏が政治的圧力をかけたということが既成の事実として議論がなされている。  

完全にレッテルを貼る行為で、朝日の陰謀としか表現しようがない。しかし、昨日のサンデープロジェクトはこれ以上ないくらい気分が悪かった。あの田原総一郎という司会は最低の司会で、安倍さんが語ろうとすると遮ってそれをさせない。星という朝日新聞の編集長も、世間を舐めきっている。  

頭に来たので何度も朝日放送に電話するが、何度電話しても話中で、気持ちの持って行き場がなかった。放送後には何人もの人から電話があり、全ての人が憤っていたが、この朝日放送と、朝日新聞はもう徹底的に非難し続けなければならないと思う。  

これは、私憤ではなく公憤だ。日本の精神性を取り戻すために運動している我々としては、確かに私事で怒る事は極力しないようにしなければならないが、公に対しての怒りは持たなければならない。  

今の若者は、勉強していないのか、やる気がないのか、関心がないのか知らないが、このあたりの覇気が感じられない。駅前でチラシを配布していても、若い女性はまだ受け取ってくれるが、若い男性のほとんどが、私が立っている事すら気が付いていない感じで通り過ぎていく。  

若者たちよ、精神が眠っているのではないか。世の中の不正や虚偽や欺瞞に対して、無関心でありすぎはしないか。もっと関心を持ち、勇気を出して、正しいものを正しいと言い切れるだけの強さと、知識と、愛情を持て。  

邪悪なものを、邪悪なものとして、断言できる智慧を持て。断じて、正義の心を眠らせてはならない。  

もう一つ言いたい事がある。「言論の自由」というが、この定義はいったい何かを具体的に朝日新聞や朝日放送には明確にしてもらいたい。検閲があったわけでもなく、放送禁止処分があったわけでもなく、一体どこが「言論に対する圧力」なのか。もし仮に注文があったとしても個人間の出来事であって、そのくらいで投げ捨ててしまうような価値しか本人は持っていなかったのだ。  

大の大人のくせにお涙頂戴で、記者会見した輩は恥ということを知りなさい。自分の収入か地位か知らないが、それと引き換えに「報道の自由」とやらを簡単に売り渡した人間が、4年もたって泣き言を言う資格はない。  

そんなに「報道の自由」が大切なら、全てを投げ捨てでも守るのが男だし、それが正義というものだろう。自分の地位や収入を守って、それと引き換えに投げ捨てた「報道の自由」は、本人にとっては非常に軽いものでしかないのだ。人の政治生命を人生を左右するくらいに大事な事なら、その時点で裁判を起こすべきだ。議員の政治生命を何と思っているのか。それぞれの議員は、人生をかけて選挙に出ているのだ。  

真に「言論の自由」を守ろうとする人間は、たとえヒットラーの政権下にあっても、発言を止めない人たちのことである。その様な人たちこそが、「言論の自由」や「報道の自由」を訴える資格があるのであって、今のような平和なわが国において、ちょっと言われたくらいでヘナヘナになる人間が、「言論の自由」などと泣き言を言うには、「言論の自由」を守ろうとして命をなくした人たちに、余りにも失礼だろう。どれだけの人が、「言論の自由」や、その前提である「信仰の自由」を守ろうとして、命を失くしていったのか知っているのか。

これについてはまだまだ全く言い足りないが、今日は時間がなくなった。今後も、我が国の第1権力であるマスコミには辛らつな批判を繰り返して行きたいと思っている。それは、マスコミ界の浄化なくして、日本の再生もまたないからだ。  
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by sakura4987 | 2006-05-13 10:48

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