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◆元内閣官房参与中山恭子氏、拉致問題を語る (BNN 06/6/10)


http://www.bnn-s.com/bnn/bnnMain?news_genre=2&news_cd=220011027945

 「国の信頼を得るためにも、必ず救出しなければならない」

 「海外で日本人が被害にあったときに救出できるのは、日本政府しかない」。穏やかにこう語るのは、元内閣官房参与の中山恭子氏(現早稲田大学大学院客員教授)。駐ウズベキスタン特命全権大使時代の99年に関わった、キルギスタンでのイスラム武装勢力による日本人技師拉致事件を通して、この思いを強くしたという。

 中山恭子氏は9日、函館国際ホテルで日本関税協会函館支部が主催する時局講演会「中央アジア・北朝鮮そして日本」と題して講演を行なった。

 中山氏がウズベキスタンから帰国して間もなく関わるようになったのが、北朝鮮による日本人拉致事件。ぎくしゃくしていた拉致被害者の家族と政府との間に立ちたいとの思いで活動してきたという。

 「拉致事件が犯罪行為であることをしっかり認識して対応しなければならない」と語る同氏は、講演の中で北朝鮮の犯罪行為を列挙。麻薬、偽ドル、偽たばこなどの製造が資金源になっているとした。

 さらに、「北朝鮮は日本の1万円札も偽造していたが、新札に切り替わったため使い切らなかったようだ」とも明かし、「国民の安全と通貨の信頼性を脅かす行為は主権の侵害だ」と断じた。

 拉致被害者の曽我ひとみさんの夫・ジェンキンスさんと娘たちの日本帰国についても話は及んだ。

 当初ジェンキンスさんは「日本には行かない。ひとみを返せ」と主張していたが、後で聞くことによると北朝鮮の外務次官にそう言うように命令されていたとのこと。ジェンキンスさんは後に「小泉首相に一緒に日本へ帰ると言っていれば、自分の命はその日のうちになくなっていました」と語ったという。

 ジャカルタでひとみさんと家族との面会を設定したときには、ジェンキンスさんと北朝鮮の監視員を切り離すように心がけたという。

 「曽我さん一家をホテルの14階に押し込めた。エレベーターも、政府関係者だけが持つカードを差し込まないと14階で扉が開かない方式。電話も撤去し、北朝鮮監視員の接触を完全に絶った」。

 この時、北朝鮮監視員が日本を非難するアピールを繰り返したため、日本政府からは1日一度くらいはジェンキンス氏に会わせろとの指示が来たという。だが、一度でも会うと恐怖心が戻ってしまうとの判断から、この指示を拒否。

 ジェンキンスさん自身も「夕方には連絡するように」との指示を監視員から受けていたらしく、夕方になると出かけようとしたが、これを阻止し、家族だけで話し合ってもらう環境を守った。

 「彼が日本に行くと言うには1年くらいかかるかもしれないと思われていた。しかし、ホテルに入って5日くらいで、帰りたいと言っているらしいとの情報が入ってきた。そこで、帰るなら文書にサインしてくださいと言うと、うれしそうに大きな文字でサインしてくれた」。

 サインをもらってその日のうちに中山氏は帰国し、帰国への諸問題をクリアするため官邸との相談を行ない、こうして曽我さんの家族の日本帰国は実現したという。

 「ジェンキンスさんの例でも分かるように、拉致された人は厳重な監視下にあり、監視している人も非常に大きな責任を負わされている。彼の監視員が日本非難のアピールをしたのも、自分たちは一生懸命やったのに日本がひどいからうまくいかなかったという平壌向けのものだと思った」。
  
 拉致被害者の最初の5人を帰した時の北朝鮮のナンバー1は1年後に交通事故で、ナンバー2は病気で亡くなっているという。「あの時の監視員は今でも無事でいるだろうかと思う」との中山氏の言葉がかの国の空恐ろしさを伝える。

 「政府も、自国の民の安全や生命が脅かされているとの認識を持ち、しっかり対応するようになった。自国が荒らされているとの認識を持ち、国の信頼を得るためにも、必ず救出しなければならない」と語る中山氏。

 「これからも関心を持って拉致問題を注視していただければ」と講演を結んだ。
by sakura4987 | 2006-06-12 11:00

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