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◆ネズミも人間の先祖?


公費使い唯物的進化論押しつけたNHK「地球大進化」シリーズ 世界日報

<税金で唯物論“広報”>

 昨年四月から始まったNHKスペシャル「地球大進化-46億年・人類への旅」は同十二月下旬、最後の六回目が放映されて終わった。

 コンピューターグラフィックス(CG)がふんだんに使われスケールが大きく、NHKは不祥事を繰り返しつつも予算は潤沢で、それが映像部門に生かされていることがうかがわれた。

 だが内容は、国家予算や受信料など国民の負担で唯物論的「進化論」絶対化の“広報”を行うようなものだった。単細胞の微生物から人類に至るまでの間にある生物を、何でも先祖呼ばわりしていた。

 番組は、俳優の山崎努が人類が誕生するまでの状況を地球環境の変化との関連でナレーションする構成。「ヒト-果てしなき冒険者」と題した六回目(第六集)では、山崎が近くではい回るCGのネズミを直接、何度も「ご先祖様」と呼び掛けていた。

 最新の科学の発見を踏まえた番組だというが、肝心な生物の変化への見方が固陋(ころう)な進化論でゴリゴリに固まっていた。本当に、これが最新の科学的成果なのか。

 同じく第六集では、気象に応じた胎生への変化や視力の発達を「進化論」的に説明。その視力に関する部分で、五千六百万年前のネズミを多少大きくしたような動物、カルポレステスを「祖先」と紹介していた。人間の視力に比べて劣っていたことを説明するため、「祖先」と「人間」という文字入りで二つの異なる網膜を対比して映し出していた。何とも言えない違和感を覚えた。

 「カルポレステス」と「人間」というように対比しないところに意図がありそうだ。

<「生命の本能」>と珍説

 ダーウィンによって提唱されたダーウィニズムは、「進化論」という形で広く日本で流布している。だが、ダーウィンの進化論は、単なる仮説で検証されていない主義主張にすぎない。

 科学はその仮説が実証されなければ科学とは言えない。進化論については、「主義主張で進化が起こることはあり得ないし、主義主張で自然現象を理解しても、本当の進化の起こる法則性とは無縁」(西原克成著『追いつめられた進化論』)であり、「ダーウィニズムとは、自然科学に社会科学の方法論を導入した観念論であり、サイエンスとしては、初歩的な誤りを犯しているものである」(同)と指摘されている。

 第六回の番組では、七百万年前から合計二十種類くらいの人類に近い存在がいたが、一種類を除いて絶滅したとし「生物の進化の歴史は絶滅の歴史でもある」と説明。とくに、人類の祖先として草食のパラントロプスと肉食のホモ・エルガステルの二種類がいて、偶然、ホモ・エルガステルが生き延び、パラントロプスは絶滅したと解説。「二種類の人類がいたのは、多くの仲間を増やして絶滅を何とか防ごうとする生命の本能的な備えでした」なとど述べていた。

 まるで、生命自体に進化の意思があるような説明だ。しかし、通常、下等動物からより「進化」した高等な動物に変化する場合は、新たな目的を持った力が加わってこそ可能なのである。自然に任せて置いて、アメーバから始まって魚類、両生類、は虫類、鳥類と誕生し、最後に人類の出現などというように、「進化」が成し遂げられるはずはない。

<説の紹介にとどめよ>

 米国では、進化論だけではなく、むしろ神による創造論を多くの人たちが信じている。聖書の記述を文字通り信じる人たちもいれば、神の意思が働いてより高等な動物が出現し、聖書にあるように最後に人類が誕生したと見る、いわば創造論的「進化論」もある。

 「生命の本能的な備え」として、生命が一貫して進化しようとする意思があるように説明するのは無理がある。

 番組で、ホモ・エルガステルはやがて二万年前くらいに、人類のホモ・サピエンスとなると指摘。壮大な系統樹を示しながら、すべての「進化」が連続し、人類とチンパンジーの共通の祖先がいるかのように描いていた。

 番組の説明だと、そう納得させられてしまいそうだが、共通の祖先といえる化石は存在しない。検証されていない壮大な空想をアピールするものだ。

 先頭に立って唯物的な主義主張にすぎない進化論を国民に植え付けているようなものだ。公共放送のNHKであれば、ネズミを「祖先様」などと呼ぶ奇妙な番組を視聴者に一方的に押しつけるのはやめてほしい。

 せめて「説」と断って放映する公共報道機関としての良心はないのだろうか。



※これでまた受信料の不払いをする理由が増えた。歴史観もでたらめだし、人間観もでたらめだということだ。大河ドラマにしてもいかに現代風に面白くするかということが主眼で、事実を探求しようなどとは思っておらず、フィクションの娯楽小説と思って見た方がいいようだ。  

大河ドラマを見て、これが歴史の真実だと思い込み、わかったつもりになっていると、人から笑われる事になるということは知っておいた方がいいだろう。これは司馬遼太郎さんの小説にも言えることだ。  

このダーウィン(1809年~1882年)という人は、そんなに悪い人ではなかったそうだが、この思想の誤りは決定的だったと思う。思想は自由だし、言論は自由だが、真実に反した思想や言論を発表し、世の人々を迷わした罪はいずれ本人がその代償を払うことになるし、影響力がある人ほど痛い目に合う。  

この人の影響で、人間は、アメーバから進化してきた偶然の産物にまで落ちぶれてしまった。しかし、歴史を振り返ってみれば不思議な事に、偉人として名を残した人のほとんどが、神の世界を認め、この世界を良くしようとした人たちだ。  

唯物論を証明した人はいないが、過去には神の世界の存在を証明しようとして、命を落とした人は無数にいるし今もいる。もし、唯物論が「悟り」と言うのなら、悟った人は「ガンジス川の砂の数」ほどいるだろうし、繁華街に行けば掃いて捨てるほどいる。「悟った人」とは、この世が唯物論ではない事を知った人のことを言うのだ。  

そう考えるなら、このような番組など本来、人間としての良心が許すはずがなく、作れるはずがない。唯物論を信じている人は、人間に対する愛情もなく、自己中心的になるのは当然だが、NHKにはその精神が蔓延しているのだろうし、いかにすれば世の中が悪くなるかをよく知っているようだ。  
by sakura4987 | 2006-06-20 14:12

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