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◆日韓首脳会談 開催地でさざ波 西郷は「征韓」論者か?


「侵略」強調で独り歩き  平成16年12月18日(土) 産経新聞  

 日韓首脳会談が鹿児島県の指宿市で行われた。東京以外で首脳会談が開かれることはさほど珍しくもないが、韓国側で多少のさざ波が立った。

 韓国政界の一部に「鹿児島は首脳会談の場所にふさわしくない」という意見がある、とマスコミが伝えたのだ。その理由たるや、鹿児島が「征韓論をとなえた西郷隆盛の故郷だ」というのだ。

 それなら鹿児島ばかりじゃない。

 西郷さんの銅像が立つ東京もダメだし、征韓論にくみしたとされる板垣退助の高知や、江藤新平の佐賀もふさわしくない。

 もっといえば朝鮮に出兵した豊臣秀吉の大阪、愛知、日韓併合の伊藤博文の山口もダメとなり、大統領を迎えられるところはどこもなくなりかねない。

 さすがに、韓国でも世論の支持はなく、さざ波で終わったようだ。

 ただ気になったのは、「征韓論の西郷隆盛」が、歴史の既成事実のように登場してくることである。果たして西郷は本当に征韓論を口にしたのだろうか。

 明治維新の前、釜山に草梁倭館という対馬藩が管理する日本の貿易事務所があった。維新後、新政府はここを外務省の管轄に移したが、維新政府をなかなか認めない朝鮮側は、一八七三(明治六)年五月、商人の倭館への出入りを禁止するなど対決姿勢を強めてきた。

 このため日本には「朝鮮討つべし」の空気が強まった。特に参議の板垣は閣議の席で「すぐに軍隊を釜山へ送るべきだ」と主張した。

 これに対し同じ参議の西郷は「まず使節を送り話し合うべきだ」と反論する。

 西郷は板垣に手紙を書く。「使節を送れば朝鮮側はこれを殺すでしょう。そのときはあなたが主張する戦争を起こす理由ができる」。そして使節として自分を送るよう求めた。

 後世の史家たちはこの手紙から西郷を「征韓」派と決めつけた。もともと、維新で仕事にあぶれた旧武士たちのため海外派兵を考えていたという理由からだ。

 西郷使節は閣議で認められたが、外遊から帰国した岩倉具視らによってつぶされ、怒った西郷が下野する。

 このため西郷の真意はわからないが、この手紙を読むかぎり、西郷は板垣の暴走を止めようとしているのだ。少なくとも自分から「征韓論」は口にしていない。

 にもかかわらず、特に戦後は「征韓論の西郷」が強調され独り歩きしてきた。

 日本で最も人気のある人物の一人である西郷も征韓論を唱えていたとすることで、日本は早くから侵略的意図を持った国だと印象づけるためかもしれない。

 今回の韓国側の鹿児島への異論にもそんな意図があったのだろう。しかし、日本側までそれに乗せられる必要はさらさらない。





※日本の歴史学者は、本当に何をやっているのだろうと思う。この西郷さんの「征韓論」も勘違いされているし、高杉晋作の「奇兵隊」も教科書では曲解されて載っている。高杉晋作には平等意識などほとんどないにもかかわらず、平等の先駆者のように記載されている。現象だけを捕らえて書いているとするならば小学生なみだし、知っていて書いているなら詐欺だ。文部科学省の役人もしかり。学生には本当の事を教えてあげなければ申し訳ないという良心もない人たちが、歴史教科書の執筆者のほとんどなのだろう。 

 「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」(ビスマルク)と言うが、今の教科書からは教訓を学ぶどころか、真実も学べないし、「事実は小説よりも奇なり」というように、本当の面白さも学べない。「歴史は自由な国においてのみ真実に書かれ得る」(ウォルテール)はずだが、我が国の歴史学者には何か大きな圧力がかかっており、それを恐がる卑怯者が歴史学者のほとんどなのだろう。 
by sakura4987 | 2006-06-21 15:54

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