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◆漢字制限の害悪 「拝啓」書けない、知らない高校生


平成16年9月27日(月)産経新聞

 七月二十八日付の本紙に国立教育政策研究所が平成十四年度に全国の高校三年生約十万五千人を対象に行った一斉学力テストのまとめが中央教育審議会初等中等教育分科会に報告されたことが報じられている。記事によると、「敬具」に対応する言葉として「拝啓」と書かせる国語の問題の正答率がわずか22%だったとのことだ。「拝けい」や「はいけい」を含めても35%で、予想正答率65%に遠く及ばなかったという。

 戦後国語政策の一つである漢字制限がいかに日本人の国語力を低下させてしまったか、その無残な結果がここに表れている。かかる国語力の衰微を憂える識者の声が最近ようやく顕在化しつつあるが、マスコミ界の用字用語担当者のこの問題に対する感度の鈍さにはほとんど失望の念を禁じ得ない。

 日本人の国語力がかくも衰亡したのは公教育で漢字を教えることを制限したからである。マスコミがこの誤った漢字制限の尻馬に乗って、むやみに漢字狩りをしたからである。

 けれども、いくら漢字制限にしゃかりきになっても、民間に使われている言葉は依然として生き残る。その言葉を書き表すのに漢字が使えないとなると、例えば(1)風光明媚を「風光明美」と書く代用漢字のデタラメ表記(2)完璧、処方箋、片鱗などを「完ぺき」「処方せん」「片りん」と書く交ぜ書き(3)斡旋、薀蓄、界隈などを「あっせん」「うんちく」「かいわい」と書く漢字熟語の仮名書き、さらには(4)美(び)貌(ぼう)を「美人、きれいな顔」に、畏敬(いけい)を「敬服、心服、尊敬」に言い換える漢字語彙(ごい)狩りで対応しなくてはならなくなる。

 こうした代用漢字や、交ぜ書きや、漢字熟語の仮名書きなど、見るに堪えない、いびつな表記を新聞やテレビが日常的に垂れ流せば一体どういうことになるか。それに見慣れた子供たちが、拝啓を「拝けい」や「はいけい」と書いてもいいものだと思い込むようになるのは火を見るよりも明らかである。何しろ、学ぶのマナはまねるのマネと母音交代した同根の語、マネをするのが自然の成り行きというものだ。

 このことがいかに深刻であるかは、学力テストの結果をこう読み解けば理解できるだろう。「拝啓」が書けなくなるのには道筋があるのだ。

 漢字熟語は初めから漢字で書く、そういう習慣をなくし、ちょっと字画が込み入っていたり、似ている意味や用途のある同音の字があったりすると、あやふやな記憶からつい「拝けい」と交ぜて書く。「拝けい」は「拝啓」という言葉の輪郭の半分が融解した表記だから、語の印象がそれだけ減殺し、記憶にとどまりにくくなる。すると、残り半分の「拝」の方にまで融解作用が生じて「はいけい」という表記へと流れてゆく。この輪郭のない、音を表しただけの表記は「拝けい」よりも一層記憶にとどまりにくい。記憶にとどまりにくい語は忘却される。よって、「はいけい」の先には語彙の消失という現象が待っているということになる。学力テストで「はいけい」とすら書けなかった65%の高校三年生はそうした順路で漢字ばかりでなく「拝啓」という言葉自体を喪失したのである。

 また、公教育で表外字を含む漢字熟語を教えずに、マスコミがそれらの語彙を言い換えという形で意識的に排除すれば、目に触れる機会のない語は自然使われなくなるのが道理である。これらの語はまねをし、学ぶ機会すらないから、初めから内的言語として蓄積されないことになる。

 こうして漢字語彙を大量に消失した世代は、父の代、祖父の代の文学作品すら読めなくなり、読めないから読まなくなり、それがますます語彙の貧困を生む悪循環に陥るのである。

 新聞やテレビの漢字制限は情報の大衆化、知識の民主化に少しも役に立たなかった。マスコミは、国語力低下という国家存亡にかかわる恐るべき今日の状況を生み出すのに手を貸したことをいさぎよく認め、国語の将来のために用字用語政策を常用漢字のくびきから解き放つべきである。




※現在、産経新聞では、マスコミの新聞用語集についての記事が連載中だが、あきれ果てる。本日では、「梗概」コウガイ。梗概の梗は“おおむね、あらまし”。小説の梗概などと用いる。『新聞用語集』では「概要、大要、あらまし、粗筋」に言い換えているそうな。そのほかにも多々。ただでさえパソコンで漢字を忘れつつあるのに。マスコミの低教養を国民にまで感染させるな。 
by sakura4987 | 2006-06-21 16:12

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