◆【産経抄】
ジャカルタの空港で曽我ひとみさんが、夫や娘に真っ先にかけた言葉は「ごめん」だったという。優れた詩人に似て言語感覚の豊かな曽我さんだけに、あまりに簡潔に聞こえたかもしれない。だが一家四人の再会の場にこれほどふさわしい言葉もなかった。
▼一人で黙って日本に帰ってしまったことをわびたのだろうか。それとも曽我さん自身の「ややこしい人生」に、家族を巻き込んだことを謝ったのか。そうしたことも含め、愛する夫や娘に対する万感の思いがこの三文字の中に含まれているように思えるからだ。
▼理屈をいえば、曽我さんが謝る理由は何もない。拉致されて以来、曽我さんの「自己責任」は針の先ほどもないのだ。「ごめん」と言わなければならないのは、言うまでもなく北朝鮮の独裁者であり、解決をここまで遅らせてきた政府や政治家その他なのである。
▼日本人は謝罪をしすぎるという声も聞かれる。確かに苛烈な外交の場などではマイナスかもしれない。しかし、理由はどうであれ友人や隣人に迷惑をかけたときには、まず謝る。それは、農耕社会で生きてきた日本人の知恵であり、美徳であるといってもいい。
▼そういえば、曽我さんにはずいぶん「日本人の心」を教えられた。ジャカルタ入りした日には「この美しい国で…」と再会の場を提供したインドネシアへの礼儀を忘れなかった。手記に「日本は、みんなが励まし合いながら仲良く暮らす大きな家族」と書いたこともあった。
▼一年九カ月前に帰国したときには、自然への畏敬の念をこめてこう綴った。「空も土地も木も私にささやく、お帰りなさいと」。日本人が曽我さんを支えているのではなく、曽我さんに助けられているのではないか、と思えるほどだ。
平成 16年 (2004) 7月11日[日] 産経新聞