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◆戦後60年 「正義」か「報復」か これで分かる東京裁判(4ー3)


[ 産経 2005年08月01日 東京朝刊 ]

 ■一貫性欠く政府の姿勢/相次ぐ異議、沈静化図る

 戦後六十年の節目を迎える今年、自民党内から東京裁判への批判が相次いでいる。政府はその内容について「政府の公式見解ではない」(細田博之官房長官)と火消しに躍起だが、長年日本人の心に潜在してきた「東京裁判はどこかおかしい」という疑問はいまなお解消されていない。 

 五月二十六日の自民党代議士会。森岡正宏厚生労働政務官(当時)は「私の思いを聞いてほしい」と問題提起した。

 「A級戦犯だって、B級戦犯だって、C級戦犯だって、それぞれ絞首刑にあったり禁固刑にあったりして罪を償った。日本の国内ではその人たちはもう罪人ではない」

 発言には「正論を述べた」(平沼赳夫元経産相)と多くの拍手が送られた。

 森岡氏はその後も同様の発言を続け、官邸サイドは「日本は平和条約(サンフランシスコ講和条約)により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しているから、不法なものとして異議を述べる立場にはない」(細田官房長官)と事態の収拾に追われた。

 だが、森岡氏の意見は少数派というわけではない。中曽根康弘元首相も「私の考えは、東京裁判は認めない。東京裁判は戦争の延長で、講和条約で終わりだ。戦犯といわれる方々が、犯罪だとか罪だとかの考えは毛頭ない」と表明しており、亀井静香元政調会長は「日本は東京裁判の歴史判断まで認めたわけではないのは明確だ」と訴えた。

 また森岡氏の主張は、戦後一貫した政府の見解に沿ったものだったともいえる。

 昭和二十六年十月、サンフランシスコ講和条約などについて審議する衆院特別委員会で、外務省の西村熊雄条約局長は「平和条約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向かって効力を失う」との国際法の原則を示し、講和条約一一条は「日本が判決執行の任に当たる」ために設けられた条項であると強調した。

 同年十一月の参院法務委員会では、大橋武夫法務総裁(現在の法相)が「(戦犯は)国内法においてはあくまで犯罪者ではない。国内法の適用において、これを犯罪者と扱うということは適当ではない」と答弁。翌年五月には木村篤太郎法務総裁も通達で、戦犯を国内法上での犯罪人とはみなさないとした。

 しかし、最近では「一一条の受諾は単に刑の言い渡し、センテンス(刑の宣告)だけを受諾したものではない」(平成十年三月の竹内行夫・外務省条約局長の答弁)として、講和条約で東京裁判の判決だけを受け入れたのではないような見解をとっている。

 その延長線上に「東京裁判を受諾している。(A級戦犯は)戦争犯罪人だという認識がある」という小泉純一郎首相の国会答弁(六月二日の衆院予算委)もあったとみられる。

 しかし、政府は東京裁判で被告の全員無罪を主張したインド代表のパール判事や、A級戦犯として収監された重光葵元外相に大勲位に次ぐ名誉である勲一等を授与している。東京裁判に対する姿勢に揺れがみられるのは事実だ。

 東京裁判を事実上、主宰したGHQのマッカーサー総司令官自身も、一九五一年(昭和二十六年)五月、米上院軍事外交合同委員会で「日本が戦争に突入した目的は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」と証言し、先の戦争は日本にとり「自衛戦争」だったとの認識を明らかにしている。この発言について河相周夫北米局長は「注目に値する」と指摘している。東京裁判をめぐる論争はまだまだ続きそうだ。

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 サンフランシスコ講和条約11条 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内および国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、かつ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が科した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、および仮出獄させる権限は、各事件について刑を科した一又は二以上の政府の決定および日本国の勧告に基づく場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定および日本国の勧告に基づくの外、行使することができない(外務省訳)

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 A級戦犯 一般に、「A級戦犯」は最も罪が重い人という意味に誤用されているが、A、B、Cの区別はランク付けではなく、GHQが戦犯を選定する際に用いた便宜的な犯罪のカテゴリーを示す。Aは侵略戦争を遂行した「平和に対する罪」、Bは戦争法規・慣例に違反した「(通常の)戦争犯罪」、Cは民間人に対する迫害や殲滅(せんめつ)を実行した「人道に対する罪」-という区分けだが、明確な法的根拠はなく、「A級戦犯」という呼称は「通称」にすぎない。

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 ■「戦犯」、生存者は名誉回復

 東京裁判の起訴状で、二十八人のA級戦犯は「昭和三年から二十年に至るまでの期間において、共通の計画、または共同謀議の立案または実行に指導者、教唆者、または共犯者として参画した」とされたが、実際には互いに一面識もない者同士もいた。A級戦犯の人選は「日本人から見ても、そんなに非常識な線ではなかった」(現代史家の秦郁彦氏)とされるが、裁いた側の評価も量刑などをめぐって割れている。

 法廷で一切の弁明を行わず、文官でただ一人、死刑となった広田弘毅元首相については判決後、助命を求める署名運動が起こり、十万を超える署名が集まった。

 オランダ代表のローリング判事は「中国側の要求で、広田は『南京虐殺』と日本側の不法行為に責任ありとして裁判にかけられ、死刑判決を受けた。私は、広田は『南京虐殺』に責任ありとは思わない。生じたことを変え得る立場ではなかった」と述べている。

 キーナン首席検事ですら「松井石根(陸軍大将)、広田の死刑は不当だ」と述べている。

 キーナン検事は元駐ソ大使で、ソ連代表団の強い要求で起訴された重光葵元外相についても「私は重光氏が有罪の判決を受けたこと、さらに彼が裁判にかけられた人々の中に含まれたこと自体に対して、深き遺憾の意を表した」と手紙に書いた。

 重光氏は釈放後、副首相兼外相となり、日本の国連復帰の場面にも立ち会った。対中戦争と対米戦争の遂行に積極的に従事したとして罪を問われた賀屋興宣元蔵相も釈放後、法相となって名誉を回復した。

 A級戦犯容疑者とされたが不起訴となった岸信介元商工相は釈放後、首相として活躍しており、「死んで靖国神社に祭られたA級戦犯だけを犯罪人呼ばわりするのは筋が通らない」(自民党幹部)との指摘は根強い。

 開戦時と終戦時に外相を務め、米国との交渉で指導的な役割を演じたとして断罪された東郷茂徳元外相に関しても、戦犯と見なすのはおかしいとの見方は少なくない。

 東郷氏は獄中で書き上げた著書『時代の一面』の中で「東条内閣を以って直ちに戦争に突入すべき内閣と観察したものがあるようであるが、その見解に同意し得ざると共に少なくとも予に関する限りは戦争突入よりも戦争防止に努力するための入閣であった」と記している。

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 ■東条元首相…「自衛戦争だが敗戦の責任は私に」

 東京裁判では被告たちは専ら、侵略戦争を企てたとする開戦責任を問われた。「戦勝国が負けた相手に敗戦責任を問うわけがない」(現代史家の秦郁彦氏)ためだ。ただ、東条英機元首相自身はというと、昭和二十二年十二月十九日付の口述書で、日本の戦争の正当性を主張する一方で、自らの敗戦責任については明確に認めている。

 東条元首相は、先の戦争の位置づけについては「日本帝国の国策ないしは、当年、合法にその地位にあった官吏のとった方針は、侵略でもなく、搾取でもなかった。(中略)私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認せられたる国際法には違反せぬ戦争なりと主張する」と述べている。

 そのうえで、大きな損害を受けた国民に対しては「敗戦の責任については、当時の総理大臣たりし私の責任である。衷心より進んでこれを負荷せんことを希望するものである」と語っている。



【写真説明】

昭和3年から20年までの日本の歴史を断罪した東京裁判の法廷。A級戦犯の席は後方の2列=21年6月、東京・市ケ谷台



絞首刑になったA級戦犯…東条英機氏、土肥原賢二氏、広田弘毅氏、板垣征四郎氏、木村兵太郎氏、松井石根氏
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by sakura4987 | 2006-06-26 08:10

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