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◆カンボジア 裁かれる「大虐殺」…来月、特別法廷手続き (産経 06/6/29)


旧ポル・ポト派幹部 「愛国者」強調/謝罪拒否、今もなお“抵抗”

 カンボジアで約200万人を死に追いやった旧ポル・ポト派。

 同政権崩壊から約30年を経て、大虐殺を裁く特別法廷の手続きが来月から始まるが、訴追の対象となる幹部の多くは今でも自らを「愛国者」と強調、虐殺の責任や謝罪を拒否している。

 旧ポル・ポト派のかつての拠点だったカンボジア西部パイリンで彼らの消息を探った。(パイリン 岩田智雄)

 タイとの国境のゲートからやや奥まった草むらに立つ粗末な家。そこに旧ポル・ポト派ナンバー2だったヌオン・チア元カンボジア共産党副書記(79)が妻と2人で暮らしていた。

 部屋はわずか2つ。自宅の壁にはシアヌーク前国王夫妻の写真が飾られている。記者を自宅に招き入れたヌオン・チア氏は心臓病を患い、歩行も困難な状況だったが、口調はしっかりしており、「ポル・ポトは愛国者だった」と話した。

 ヌオン・チア氏は党の粛清の黒幕ともいわれ、訴追される可能性はきわめて高い。話を特別法廷に向けると、同氏は「(自らの責任については)法廷で話す」とだけ述べ、それ以上のコメントは拒否した。

 1998年、政府軍に投降したヌオン・チア氏は当時、記者会見で虐殺の犠牲者に謝罪した。しかし、この日は投降についても「国家統合のためだった」と強調、謝罪の言葉は口にしなかった。

 ヌオン・チア氏は毎朝5時に起床、午後9時半には就寝する日々を送っている。昼間はラジオでボイス・オブ・アメリカなどを聞き国際情勢を分析する。最近は自宅から出ることはほとんどない。

 子供は3人、孫は11人、ひ孫も1人おり、近所に住む娘夫婦と元ポル・ポト派兵士の側近ラット・リナ氏(39)が身の回りの世話をしている。

 ラット・リナ氏によると、ヌオン・チア氏は「過去の秘密をすべて知る人物」で、ポル・ポトよりも事情に詳しいはずだという。裁判についても「自分は何を話すかはもう決めている。自分のやったことは自分が一番知っている」と話しており、すでに法廷戦術を考えているようだ。

 パイリンはベトナム軍によるプノンペン陥落後、ポル・ポト派が逃げ込んだジャングルの中の拠点の一つ。首都と同格の特別市の扱いを受け、町にはもう一人の幹部、キュー・サムファン元国家幹部会議長も暮らしている。

 昨年初め、国境近くの自宅を売り払い、市内中心部に新居を建てた。2004年に自伝を出版したが、やはり虐殺の責任を否定した。

 ポル・ポト派の消滅後、パイリンは普通の町に変わった。住民の一番の関心事は、特別法廷よりも町の「復興」にある。国境近くにはタイ人相手のカジノとホテルの建設が相次いでいる。来年には釣り堀や会議場を備えた公園が建設される計画だ。

 だが、80年代の内戦で大量にばらまかれた地雷の犠牲者は後を絶たず、昨年も102人が死傷した。ラット・リナ氏自身、「1000個は埋めた」と証言している。

 ポル・ポト派はいまは完全に消滅したが、パイリン市長、さらに6人の副市長の半数は旧ポル・ポト派の元メンバーだ。その一人、ケート・ソティア副市長は「われわれはみな愛国者だ」と同じ発言を繰り返した。

 訴追を控えたカンボジアでは、真相究明と責任者の裁きを求める国民の声が高まっている。パイリンもまた、ゲリラの町から観光の町に変貌(へんぼう)しつつある。しかし、旧ポル・ポト派の幹部たちにとって、特別法廷は依然として“抵抗”の場であることに変わりはない。

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 ■特別法廷の仕組み

 元ポル・ポト派幹部を裁く特別法廷は、来月3日の司法官宣誓就任式のあと、10日から訴追に向けた捜査が始まる。

 訴追対象となるのは、元ポル・ポト派の上級指導者で、1970年代後半に行われた残虐行為(大量虐殺、人道に対する罪など)を裁く。裁判は2審制。検察官が起訴の適否について合意できない場合には、裁判前法廷に対して決定を求めることができる。

 最高刑は終身刑で恩赦はない。国王がすでに恩赦を与えているイエン・サリ元副首相についても訴追対象に含めており、5人から10人が訴追される見通しだ。

 犯罪捜査を含めた裁判費用は3年間で計5630万ドルが見込まれる。国連が負担する4300万ドルの約半分を日本が拠出しており、日本人の野口元郎(もとお)氏が2審判事の一人に任命されている。(岩田智雄)

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【用語解説】ポル・ポト派

 1975年から79年までカンボジアを支配した共産主義政党。資本家らの財産や身分を取り上げ、多くの国民を虐殺した。ベトナム軍によるプノンペン陥落後、幹部らはタイ国境へ逃れたが、98年にポル・ポトが死亡、99年までに大半が投降または拘束され消滅した。
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by sakura4987 | 2006-06-29 08:57

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