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◆【産経抄】 (産経 06/7/22)


 歴史のおさらいをするわけではないが、昭和15年9月の日独伊三国同盟締結は「あの戦争」への大きな分岐点となった。昭和天皇は当時から同盟に危惧(きぐ)を抱き、推進する松岡洋右外相に不信感をお持ちだった。そのことは多くの史料で明らかにされている。

 その昭和天皇が、A級戦犯の靖国神社合祀(ごうし)に関して発言されたという元宮内庁長官のメモが見つかった。A級戦犯の中でも松岡とやはり同盟推進派だった白鳥敏夫駐イタリア大使の2人が名指しされている。昭和天皇の率直な歴史観がにじみ出ているようだ。

 だがメモはそれだけでなく、合祀が靖国参拝をやめられた理由としてある。これには案の定、A級戦犯分祀派や首相の参拝反対派の政治家やマスコミ、それに中国、韓国が飛びついた。「お言葉」をタテに「A級戦犯を分祀しろ」「首相の靖国参拝はやめろ」の嵐である。

 「そんなに昭和天皇を敬愛されていたのですか」と、皮肉の一つも言いたくなるぐらいだ。しかしメモはメモに過ぎない。公式のご発言でもなければ文書でもない。どういう文脈で話されたのかも不明な状態とあっては「はしゃぎ過ぎ」といっていい。

 むしろ注目したいのは、昭和天皇がそれだけの本音を公式の場では一切口にされていないことだ。メモが書かれたという昭和63年4月には記者会見もされている。この時も「戦争に進んだ最大の原因は」の質問に「人物の批判とか加わりますから」と口を閉ざされた。

 自らの発言が政治や歴史論議に影響を与えぬよう、厳しく律しておられたのである。メモが残されていたことなど、想像もされなかっただろう。これを「政治利用」し、分祀や首相の参拝を論じることこそ昭和天皇のお心にそむくことになる。
by sakura4987 | 2006-07-23 13:05

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