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◆特集・中国“遺棄化学兵器”問題 (産経「正論」 7月号)


≪参考写真≫
    http://nippon7777.exblog.jp/3343824/


■旧日本軍兵器引継書を読み解く(1)

http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0606/ronbun1-1.html

元防衛庁防衛研究所戦史部長 大東信祐

聞き手/本誌・喜多由浩

 山形県の「シベリア資料館」で見つかった旧日本軍兵器引継書は約六百冊に及ぶ。

 引継書には日中双方の責任者の署名・捺印(なついん)があり、武装解除の際に中国側(国民党軍)へ引き渡された武器・弾薬の種類と数が詳細に書かれている。

 これは、中国本土において、旧日本軍が整然と武装解除に応じ、例外なくすべての武器・弾薬を引き渡していたことを示す明確な証拠だ。

 「化学弾だけ遺棄していた」というような形跡も見当たらなかった。元防衛庁防衛研究所戦史部長の大東信祐氏に、この史料の意味するものを聞いた。


●例外なくすべての武器を引き渡し

 --今回、発見された史料の中で、化学弾と思われるのはどれでしょうか?

 大東  一〇〇%とは言いきれないが、非常に疑わしいものがあります。

 例えば、「独立歩兵第百九十七大隊(中国・河北省石家荘)兵器引継目録」の中に、「四一式山砲榴弾甲」「同乙」という項目がありますが、旧陸軍省が作成した「秘密兵器概説綴」と照らし合わせてみれば、化学弾の可能性が高い。断定はできませんが、「くしゃみガス」ではないかと思います。


 --(カ)や(テナカ)と書かれたものもありますね。これが化学弾の略号とする見方もあるようですが。

 大東  これはちょっと分かりません。当時、実際に使った人に確認してもらう必要があるでしょう。


 --中国側の求めで、“遺棄化学兵器”として日本側が処理の対象にしたものの中には「有毒発煙筒」が含まれています。引継書の中には「九七式(青)発煙筒」三十三発と書いたものもありました。

 大東  (化学弾を示す)「青」は通常「あお」とひらがなで書きます。その点が少し気になりますが、(化学弾に)ほぼ間違いないでしょう。

 ただ、単なる発煙筒は米軍などの分類では「化学弾」に入るが、本来、毒ガス性のものではありません。それを「化学弾」として、処理対象に含めていること自体が問題なのです。


 --本来、化学弾でないものまで、日本側の費用で処理させられているということですね。

 大東  まず、化学弾の定義を明確にする必要があります。米軍などは、毒ガス性のもの以外に、発煙弾、火炎弾、照明弾などを「化学弾」に含めています。だが、国際間の条約ではこうしたものは化学弾にはしていません。旧日本軍もそうでした。

 それが今回の問題では、こうしたものまで化学弾としており、そのために処理対象の発数が極めて大きくなっているのではないかと思われます。見つかった史料の中にもそうした発煙筒などがたくさん含まれており、遺棄したのではなく、これらのものは中国側にちゃんと引き渡したことは明らかです。


 --引継書の中には「発射発煙筒」と書かれたものがたくさんありました。オーストラリア軍が旧日本軍から接収した武器のリストなどでは、これも化学弾となっているようですが。

 大東  オーストラリア軍が米軍方式を採っているから化学弾となってしまうのです。「発射発煙筒」というのは、完全に通常弾ですよ。資料によっては有毒発煙筒という言葉があるようですが、さらに細部を確認する必要があると思います。


 --つまり、今回判明した問題は二つある。一つは、本来、化学弾とされるものが今回、発見された引継書の中に入っていた可能性が高いこと(つまり遺棄されたのではなく、中国側に引き渡されていた)。

 二つ目の問題は、本来、化学弾ではないもの(発煙筒など)までが、日本側の責任で処理することになっており、そうしたものも引継書にはたくさん書かれていたということですね。

 大東  そうですね。こうしたものをカウントしなければ、(中国にある旧日本軍の化学弾は)本来、少ないはずです。それに、引継書を見ると、(旧日本軍が)化学弾だけを遺棄したり、隠匿していたような形跡はまったくありません。

 政府はこれまで、「中国における武器引き継ぎの実態がよく分からない」などとしてきましたが、今回の発見で、少なくとも中国本土では、日本側が整然と、武装解除に応じ、例外なくすべての武器を中国側(国民党軍)に引き渡していたことが分かります。

 そして中国において「化学関係のものは引き渡すことなく全て破棄せよ」という命令は出されていないことが言えると思います。


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◆旧日本軍兵器引継書を読み解く(2)

http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0606/ronbun1-2.html

元防衛庁防衛研究所戦史部長 大東信祐

聞き手/本誌・喜多由浩


●最後まで統制がとれていた旧日本軍

 --引継書を見ると、旧日本軍は極めて律義に、きちょうめんに武器を引き渡しています。

 大東  今回の問題で中国との交渉にあたっている政府の人たちは、中国本土での武装解除の実態を誤解していると思います。終戦時、旧日本軍は中国本土では「負けてはいなかった」。敗走し、遺棄していった武器を中国側が鹵獲していったような状況ではないのです。

 最後まで日本軍は秩序を保っていた。組織は崩壊していなかったのです。武装解除はそうした中で整然と行われました。武器のほかにも、電気スタンドやアイロン、めがね、銃口を掃除するブラシまで引き渡している。きまじめすぎると思えるほどです。

 捕虜の扱いもそうでした。本来は将校と兵隊を分けるのですが、中国側の事情もあり、「日本軍」のまま船で日本へ帰ってきた。敗残兵狩りをやって、収容所に入れ、順次、帰ってきたというような「混乱状態」ではなかったのです。だから、どうやって武器を渡したのか分からない、というのはおかしい。


 --当時の日本軍将兵の日記などをみると、むしろ、中国側(国民党軍)のずさんさが分かります。武器引き渡しの際に中国側から「二重帳簿」を要求されたケースも多かったようですね。つまり、正規の帳簿と自分たちが「懐に入れる分」を除いた帳簿と…。

 大東  中国の軍隊というのは昔からそういう話はよく語られています。実際は六千人しか兵隊がいないのに、一万人と申告して、四千人分の給料を自分の懐に入れていた将軍もいたほどです。日本軍では考えられません。

 二重帳簿の件も部隊としてやっていたのか、個人的なものなのかは分かりませんが、よくあったようです。また、勲章などは国際条約で、引き渡す必要がないとされていますが、中国側は金目のものはすべて取り上げた。

 それに比べて、日本側はくそまじめといえるほど、引き渡しに応じていたのです。繰り返しになりますが、その中で、化学弾だけを遺棄したり、隠匿した形跡は見られません。


 --今回見つかった引継書を見ると責任者が署名・捺印したうえ、正本と副本の二通を作り、日中双方が一通ずつ持ち帰ったことが分かります。これまで日本でこうした史料が見つからなかったのはなぜでしょうか。

 大東  それは(中国から)引き揚げるときに、そうした書類の持ち出しが認められなかったからです。引き揚げ時には、日本軍将兵の軍服のポケットをすべて裏返しにさせて、厳しいチェックが行われたそうです。


●旧満州でも遺棄・隠匿の形跡なし

 --旧日本軍の化学弾は、関東軍がいた旧満州地域で最も多く発見されています。ソ連軍(当時)の侵攻によって、戦闘状態のまま終戦となったこの地域では、武装解除のやり方も中国本土と違っていたのですか。

 大東  そうですね。違いはあったと思います。ただ、旧ソ連側の史料によれば、(終戦直後の)昭和二十年八月二十二日ごろまでに、すべての武器の内容をつまびらかにした上で、速やかに引き渡せということだったので、大規模な(化学弾の)遺棄や隠匿をするような時間的な余裕はなかったと思います。


 --「上官の命令で化学弾を遺棄した」という証言をしている人もいますが、証言を精査してみると、時間的な問題などでつじつまが合わないケースが多い。

 大東 いわゆる「従軍慰安婦」問題のときもそうでしたね。売名的な証言をする人は常にいます。証言は一つ一つ評価しなければなりません。


 --そもそも、旧日本軍が化学弾を持っていた理由は基本的に「抑止力」でした。敵方に知らしめなければ抑止力にはならないわけですから、ソ連軍が武装解除の際に化学弾だけが除外されていれば、納得するはずがありませんね。

 大東  関東軍が最も多く化学弾を持っていたのは、北からの脅威(ソ連軍)に備えるためです。化学弾というのは使えば、同じ化学弾で報復される可能性が高いので、簡単には使えません。

 関東軍が持っていたのも、ソ連軍が化学弾を使用したときに報復するためです。日本側が持っていないと、敵方に使われてしまいますから。南方では、化学弾を使うことは想定していなかったと思います。

 その化学弾にしても致死性のものではありません。くしゃみ性、催涙性のものがほとんど。当時の国際条約では、化学兵器を持っていること自体は禁止されていませんでしたから、後ろめたさを感じる必要もないのです。


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■旧日本軍兵器引継書を読み解く(3)

http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0606/ronbun1-3.html

元防衛庁防衛研究所戦史部長 大東信祐

聞き手/本誌・喜多由浩


●まず「日本の責任ありき」

 --それでは、旧満州地域のハルバ嶺の大量の化学弾は、どのような経緯で残されたものだと考えられますか。

 大東  ソ連軍から国府軍(中国国民党)、八路軍(中国共産党)とわたっていく過程で、混乱の中で処理に困って捨てたものだと考えるのが自然です。だから、日本は関係ありません。

 処理に際して、中国側が「日本側も協力してもらえないか」と頼んでくるのなら分かりますが、「すべて日本側に責任がある」というのでは釈然としません。これはもう行政のレベルではなく、政治の責任ですね。


 --中国側が“遺棄化学兵器”の問題解決を非公式に日本側に伝えてきたのは平成二年、日本が化学兵器禁止条約に批准したのが七年、日中間で「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」を締結したのが十一年のことです。この間、日本は事実上、中国側の“言いなり”でした。

 大東  条約に批准する前、私が防衛研究所の戦史部長をやっていたころに、日本が中国に残した化学兵器について、史料探しを命じられたことがありました。スタッフが二年がかりで調べたのですが、結局、「(化学弾が)どこにいくつあった」という史料は見つからなかった。

 そのときの政権や外務省の姿勢は、「とにかく日本の責任ですべてを処理する」、まず“日本の責任ありき”というような感じだったことを覚えています。


 --史料探しといえば、同じころ「従軍慰安婦」の問題もありましたね。

 大東  そのときも、私たち(防衛研究所)が一カ月半にわたって、すべての業務を停止して、史料を探しました。でも、慰安所があったという史料は見つかりましたが、軍が直接関与したとか、強制したという内容のものは一切なかったのです。

 このときもそうでしたが、政府は「向こう(中国側)がそう言っているのだから間違いないだろう」という姿勢なんです。自ら真実を調べようという態度ではありません。


●大きい「史料発見」の意味

 --今回発見された引継書の存在は一部では知られていたようですね。

 大東  私は知らなかった。防衛研究所でもこうした史料は見たことがありません。


 --発見の意味をどう見ていますか。

 大東  少なくとも中国本土では、旧日本軍の国民党軍への降伏は、整然と行われ、詳細な武器・弾薬のリストが作られていたことが分かります。

 政府は「化学弾だけ隠して、遺棄した」というような説明をしているようですが、この史料を見る限り、「(化学弾を)遺棄せよ」という命令が出ていたとは考えられません。

 また、引継書は中国側に正式に引き渡していたという証拠であり、「引き継ぎの実態がよく分からない」などとしていた従来の政府の答弁をくつがえすものになるでしょう。


 --政府は、新たな史料が出てきて、化学兵器を遺棄していないことが分かれば、「支援の枠組みは変わってくる」と国会で答弁しています。

 大東  いままでの主張をくつがえす、前提条件が崩れるようなら、当然、日中間の協定は修正すべき、交渉をやり直すべきだと思います。「すでに協定ができているから」というのではおかしいでしょう。

 いずれにしても、これだけの史料は一個人の所有にとどめておくのではなく、公的機関に移して、入念に整理、検討すべきだと思いますね。


 --史料がロシアで見つかったことについては?

 大東 (史料を持ち帰った)斎藤六郎氏(故人)はロシアに近い人でしたから…。ただ、史料が中国からロシアに渡った経緯はよく分かりません。


 【略歴】大東信祐氏

 昭和十年、東京都生まれ。防衛大学校の一期生となり、陸上自衛隊に勤務。第四十四普通科連隊長(福島)、第三師団(伊丹)副師団長、第一混成団(那覇)団長、業務学校長などを歴任。

 平成二年から防衛庁防衛研究所戦史部長を五年間務めた。退官後は、靖国神社偕行文庫室長として、戦史研究を続けた。
by sakura4987 | 2006-08-05 11:58

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