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◆【詳説・戦後】第2回 「靖国」…百家争鳴 追悼あり方めぐり(4-1)


 (産経 06/8/11)

靖国神社に「最後」の参拝をされた昭和天皇。天皇、皇后両陛下のご参拝を望む戦没者遺族は多い=昭和50年11月、東京・九段北の靖国神社


 終戦から61年が経過してもいまなお熱い論争が繰り広げられている靖国問題。靖国神社の戦後の歩みと現状を詳しく解説する。
                   ◇

【政界の動き】

 ■「非宗教化論」再び

 戦没者追悼のあり方をめぐって今年は、「A級戦犯分祀(ぶんし)論」、千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充論、靖国神社の非宗教化と国家管理論などが入り交じり、百家争鳴状態となった。靖国神社に対する政界の動きをまとめた。


 ≪勢い増す分祀≫

 靖国神社を支えている最大の組織、日本遺族会(会長・古賀誠元自民党幹事長)は8月に入り、「A級戦犯分祀論」について従来の反対の立場から、方向を転換しつつあるとの観測が出ている。

 古賀氏は講演で「遺族会として、国家護持という大きな旗を、もう一度掲げたい」と発言。国家護持の前提としてA級戦犯分祀も検討課題として挙げた。遺族会もこれを受け、今月2日の正副会長会議で、9月の自民党総裁選後をメドに、A級戦犯の分祀も含めた会としての検討を開始することを決めている。

 A級戦犯分祀論については、民主党の小沢一郎代表も、「合祀したのが間違いだ。靖国神社は戦争で亡くなった英霊を祭るところであり、本来の姿に戻すべきだ」とし、霊爾簿からのA級戦犯削除を主張している。

 総裁選を前に、ポスト小泉候補からも分祀論は飛び出している。谷垣禎一財務相は「A級戦犯を合祀しているのが問題だという指摘は、その通りだと思う」と指摘。麻生太郎外相も、「どうすればみんなわだかまりなく参拝できるかが原点だ」と述べ、靖国を特殊法人化し、慰霊対象は国会が決めることを自らの政策に盛り込んだ。


 ≪新追悼施設≫

 昨年11月、自民党の山崎拓元副総裁、公明党の冬柴鉄三幹事長、民主党の鳩山由紀夫幹事長らが発起人となり、超党派で国立・非宗教の追悼施設建設を目指す議員連盟「国立追悼施設を考える会」(会長・山崎氏)が発足した。設立総会で山崎氏は、「国内外の人がわだかまりなく追悼の誠をささげるにはどうしたらいいか」と提起した。

 国立追悼施設建設をめぐっては、13年に福田康夫官房長官(当時)の私的諮問機関が、靖国神社との関係は「両立でき、決してこれらの施設の存在意義を損なわずに必要な別個な目的を達成しえる」と、“玉虫色”の答申を出している。

 一方、今回の議連は6月の中間報告で「限定された戦没者のみが祀(まつ)られるのが基本なのに、戦死者でないA級戦犯が合祀されている」とし、「施設の名称、内容、場所などを早急に調査すべきだ」と主張して、来年度予算への新施設調査費計上を改めて求めた。


 ≪墓苑拡充提案≫

 今年6月、自民党の中川秀直政調会長は、氏名不詳か、引き取り手のいない戦没者の遺骨を納めた「千鳥ケ淵戦没者墓苑」(東京都千代田区)周辺の公務員官舎などを撤去し、墓苑を拡充するよう小泉純一郎首相に提案した。

 首相はこの提案に同意したとされるが、構想の背景には「墓苑を拡充し、慰霊の中心を靖国神社から墓苑に移す狙いがある」という。山崎氏は「国立追悼施設をつくるうえで、(千鳥ケ淵)墓苑が最も有力な案といってもいい」と述べている。

 中川氏はまた、今月6日のテレビ番組などで「(靖国の)非宗教法人化、国がちゃんと護持をしていくという方向へ、(遺族の)気持ちが少しずつ変わりつつあるのではないか。誰を合祀するかは政府が決めることで、昭和40年代に自民党が出した靖国神社法案の原型みたいなものをもう一回出すかもしれない」と、靖国神社の非宗教化と国家管理にも含みを持たせている。

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≪各国元首や外交官も 参拝者、年間600万人≫

 靖国神社への参拝者は年間約600万人に達し、各国の元首、外交官など外国要人の姿も珍しくない。やり方は、「二礼二拍手一礼」の神道形式とは限らず、挙手で拝礼したり花輪を供えたりと、参拝のスタイルもそれぞれだ。

 戦後、昭和31年には台湾の張道藩立法院長が、36年にはアルゼンチンのフロンデシ大統領が戦後初の元首として参拝。さらにA級戦犯合祀が新聞報道で公になった54年の翌55年には、チベットのダライ・ラマ法王が英霊を慰霊した。

 また、35年のビルマ(現ミャンマー)のウー・ヌー前首相、56年のインドネシアのアラムシャ宗教相…とアジア各国からの来訪者も多い。

 平成に入ってからは、中国側の批判を押し切って小泉純一郎首相が首相として初参拝した13年8月13日の5日後に、在日米軍太平洋陸軍司令官のエド・スミス氏の妻が参拝している。

 14年にはペルーのフジモリ前大統領も靖国に参拝。近年では韓国軍幹部も同神社を訪れ、軍事博物館「遊就館」を頻繁に見学している。

 ブッシュ米大統領は14年の来日時、明治神宮に参拝したが、現役の大使は「米側は靖国神社参拝を希望したが、波紋を恐れた日本側が断ったと聞いている」と語る。

 このブッシュ大統領の明治神宮参拝中、エスコート役の小泉首相は、「政教分離」に反するとの批判を恐れて車中で待機する一幕もあった。

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【A級戦犯合祀をめぐる主な動き】

 昭和

 20.8  終戦

 20.12 連合国軍総司令部(GHQ)が「神道指令」を出し、政府の神社・神道保護を禁止

 23.11 東京裁判でA級戦犯25被告に有罪判決

 28.8  衆院本会議で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」を採択

 39.8  政府が靖国神社境内で全国戦没者追悼式を開催

 50.8  三木武夫首相が終戦記念日の15日に靖国参拝。「私的参拝」と表明

 50.11 昭和天皇が最後の参拝

 53.10 靖国神社がA級戦犯14人を合祀

 54.4  大平正芳首相が参拝。中国は特に問題視せず

 55.8  鈴木善幸首相が15日に参拝。中国は特に問題視せず

 60.8  中曽根康弘首相が15日に公式参拝。中国が反発

 61.8  中曽根首相がA級戦犯合祀などを理由に参拝とりやめ

 平成

 11.8  野中広務官房長官がA級戦犯分祀を提案

 16.3  中曽根元首相が靖国神社にA級戦犯分祀を提案。靖国神社は「分祀は不可能」との見解発表

 18.7  昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示したという元宮内庁長官のメモ発見(政治家の肩書きは当時)



◆【詳説・戦後】第2回 「靖国」…百家争鳴 追悼あり方めぐり(4-2)

 (産経 06/8/11)

 それまでの4回の参拝と異なり、平服で一般参拝客と拝殿前で手を合わせ、お参りする小泉純一郎首相=2005年10月17日、東京・九段北の靖国神社(撮影・大井田裕)


【戦後の歩み】

 ■昭和20年代の「戦犯釈放決議」 社党議員も賛成

 「日本国として、(サンフランシスコ講和条約で)東京裁判(極東国際軍事裁判)を受諾している以上、そのことに拘束されるのは当然だ」

 今年2月の衆院予算委員会で、民主党の岡田克也元代表はこう主張し、靖国神社に合祀されたいわゆるA級戦犯は「戦争犯罪人」との見方を強調した。

 これに対し、安倍晋三官房長官は、かつて国会で戦犯の釈放を求める決議が5回にわたって採択されるなど「国民の圧倒的な支持のもとに」連合国と折衝した結果、A級戦犯を含む戦犯が釈放されたことを説明。「日本において彼らが犯罪人かといえば、そうではない」と指摘した。

 だが、岡田氏は納得せず、「東京裁判は国内法を超越する超法規的というか、それに上位する概念だ」と自説を譲らなかった。

 安倍氏は「岡田先生は何かまるで、GHQ(連合国軍総司令部)の側に立っておっしゃっているような気がする」とため息をついたが、小泉純一郎首相も「(A級戦犯は)戦争犯罪人だという認識がある」と述べている。実際のところ、どう考えればいいのか。

 過去の国会答弁などをみると、サンフランシスコ講和条約締結の事務方だった西村熊雄・外務省条約局長は昭和26年10月の参院平和条約・日米安保条約特別委で「戦犯に関する限り、米国政府の態度は極めて友好的であった」と述べ、この時点で米国が戦犯の存在に拘泥していなかったことを示唆している。

 国会では、与野党を問わず戦犯の名誉回復を求める動きが活発化し、同年11月には、大橋武夫法務総裁(現在の法相)も参院法務委で「国内法においては、あくまで犯罪者ではない。国内法の適用においてこれを犯罪者と扱うことは、いかなる意味でも適当ではない」と明言した。

 戦犯釈放決議については、社会党議員も次のように賛成の討論をしていた。

 「私は、この決議案に、むしろ即時釈放をつけていただきたい。わが国の議会での叫びは、おそらく世界の各国々の人々にはよく理解していただけることと存じます」(27年6月の決議案に対する賛成討論で、堤ツルヨ氏)

 「特に申し上げたいことは、B級、C級の戦争犯罪受刑者の諸君の中においては、事実無根のために、すなわち無罪たるべき者が多数入っているということです」(27年12月の決議案に対する賛成討論で、田万廣文氏)

 「戦勝国においても戦争に対する犯罪責任があるはずです。しかるに、敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追及することは、正義の立場から考えても、基本的人権尊重の立場から考えても、公平な観点から考えても、私は断じて承服できない」(同、古屋貞雄氏)

 当時の国会議事録をみると、東京裁判批判は社会党を含めてごくふつうに行われており、冒頭の岡田氏のような“東京裁判絶対論”を主張する議員はほとんどいなかった。

 政府は27年10月、A級戦犯を含む拘禁中のすべての戦犯の全面赦免を関係各国に要請。A級戦犯として有罪判決が下された重光葵氏(禁固刑7年)は釈放後に外相、賀屋興宣氏(終身禁固刑)は法相となって公職に返り咲いたが、連合国側は「戦争犯罪人だ」などと異論をはさまなかった。

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≪後藤田談話が転機≫

 昭和57年11月に発足した第1次中曽根康弘内閣は「戦後政治の総決算」を掲げ、戦後体制の抜本的見直しを提唱した。中曽根氏は就任後、58年には春の例大祭、終戦記念日、秋の例大祭と3度、59年には4度も靖国神社に参拝し、靖国を重視する姿勢を鮮明にした。

 また、59年7月には官房長官の私的諮問機関として「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」(靖国懇)を設置。靖国懇は計21回の検討会を開き、60年8月9日に「政府は、内閣総理大臣その他の国務大臣の、靖国神社への公式参拝を実施する方策を検討すべきである」と、公式参拝を促す報告書を提出した。

 これを受け、藤波孝生官房長官は14日、公式参拝には違憲の疑いが否定できないとする従来の政府統一解釈を変更し、「社会通念上、憲法が禁止する宗教的活動に該当しない」とする談話を発表した。こうした周到な準備を経て翌15日、中曽根氏による公式参拝(全閣僚が参拝)が実現、中曽根氏は記者団に「外国にも趣旨の理解を求めていく」と胸を張った。

 ところが、これに国内のマスコミや中国が反発すると、中曽根氏は以後の参拝をとりやめてしまった。

 翌年の61年8月14日には、後藤田正晴官房長官が「靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していることなどもあって、(中略)近隣諸国の国民の間に、わが国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、(中略)平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある」とする談話を発表。A級戦犯の存在をことさら強調してみせた。

 「この後藤田談話が以後の首相の手足を縛り、A級戦犯を『悪者』にした」(戦犯遺族)とみる向きも少なくない。

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≪中国外交カードに≫

 サンフランシスコ講和条約が締結され、日本の独立が決まった約1カ月後、当時の吉田茂首相が首相としては6年ぶりに靖国神社に参拝した。このときの新聞報道を見ると、朝日新聞は10行のベタ記事で、読売新聞は写真付きだが、わずか8行の小さな扱いだった。

 それが、今日のような外交問題にまで発展したのはなぜか。中国や日本の一部政治家は、靖国がA級戦犯を合祀したためだとする。だが、中国は昭和53年にA級戦犯が合祀され、翌年に新聞報道でその事実が明らかになった後も、60年の中曽根康弘元首相による公式参拝までは、問題にしてこなかった。

 この間、大平正芳、鈴木善幸、中曽根の各首相が何度も繰り返し参拝したが、中国は特に批判はしていない。小泉純一郎首相をはじめ、多くの政府・自民党幹部が「中国は現在、靖国問題を外交カードとして利用している」(自民党幹部)とみている背景には、こうした経緯もある。

 大原康男・国学院大教授は「当時は中ソ間に深刻な対立があった。日本を引き込みたい中国は何も文句を言わない。中国は原則論ではなく戦略論で動いた」と解説する。

 また、「中曽根氏が公式参拝を行った60年には、中ソ関係は緊張緩和に向かっていた。また、中曽根氏は日米関係強化論者だったので、中国はA級戦犯問題を持ち出すことで日米関係にくさびを打とうとしたのではないか」との見方を示す。

 さらに、日本の経済進出や対中貿易黒字に対し、中国内で不満が大きくなり始めたのもこのころだ。中国としては、日本側に贖罪(しょくざい)意識がある歴史問題を持ち出すことで、対日関係で優位に立つという狙いがあったとみられる。中曽根氏が61年に中国の圧力に屈し、以後の靖国参拝を取りやめて以来、橋本龍太郎元首相が平成8年に参拝するまで、日本の首相が靖国の境内に入れないという異常な状態が10年以上も続いた。

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【国家護持法案過去5回頓挫】

 靖国神社は戦前、陸・海軍省と内務省が管轄していたが、敗戦後、一宗教法人となった。昭和20年12月、連合国軍総司令部(GHQ)が、神道の国家保護を禁じた「神道指令」を出したためだ。

 当時、GHQには、靖国神社を廟堂(びようどう)に変える案や伊勢神宮などとともに焼却するという意見もあった。ただ、これは駐日ローマ法王代表、ブルノー・ビッテル神父が次のように主張したため見送られた。

 「もし靖国神社を焼き払ったとすれば、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。(中略)靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度で、靖国神社ではない」

 26年にサンフランシスコ講和条約が締結されると、日本遺族会を中心に靖国神社を再び、国家護持しようとする機運が盛り上がった。

 44年、自民党は靖国神社から「宗教性」を取り除き、その上で国家が管轄する特殊法人として国営化しようという「靖国神社法案」を国会に提出したが、審議未了のまま廃案となった。以降、法案は計5度にわたって国会に提出された。49年には、衆院は通過したものの、野党が「政教分離原則に違反し、軍国主義の復活につながる」と強く反対、参院で廃案となった。

 55年の政府答弁書は「国が(国家護持の)行為を行うためには、靖国神社が宗教性をなくすことが必要」と指摘。宗教法人のままでは、憲法20条(信教の自由)や89条(宗教団体への公費の支出禁止)に違反するとの見解を示している。

 ただ、神道形式の祭礼を認めない非宗教化には靖国神社側も反発。遺族会も運動を国家護持から首相の公式参拝実現に移行させていった。

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【用語解説】サンフランシスコ講和条約

 1952年(昭和27年)4月28日に発効した日本と連合国48カ国との間に結ばれた第二次世界大戦終結のための講和条約。「戦争状態」の継続に終止符が打たれ、「平和状態」に復帰したことを内外に宣言したもので、日本の主権・平等を承認した。ソ連(現ロシア)や中国、韓国は加わっていない。当時の吉田茂首相はこの条約について「懲罰的な条項や報復的な条項を含まず、わが国民に恒久的な制限を課することなく、(中略)『和解』と『信頼』の文書であります」と評価している。
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by sakura4987 | 2006-08-12 15:19

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