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◆【一筆多論】中静敬一郎 日本が求めた集団的自衛 (産経 06/10/23)

 集団的自衛権への政府解釈が、いかに時代とともに揺れ動いてきたかを報告しよう。

 「国際法上は保有、憲法上は禁止」とする集団的自衛権行使の現行解釈が確立したのは昭和56年5月29日の政府答弁書である。

 だが、昭和26年4月20日、日本政府は集団的自衛権を発動できるとして米側に確認を求めている。

 当時の井口貞夫外務次官がGHQ(連合国軍総司令部)のシーボルト大使に同日付で手渡した「日米協定の性質について」という外交文書だ。吉田茂首相も了承していた。この文書は5年前に公開された「平和条約の締結に関する調書」で明らかにされている。

 内容は以下の通りである。

 「仮に日本地区における合衆国支配下にある地点(例えば沖縄)に対する武力攻撃が発生したときは、日本にある米国軍隊は、これに対し、軍事行動をとることとなり、この場合、日本は当然、米軍の作戦基地としてこれに協力することとなるであろう。日本のこの相互援助的な行動は、いかに限られたものであっても、日本の集団的自衛権の発動と説明する外ないのではあるまいか」

 この文書に対する米政府の返答は記載されてないが、シーボルト大使は少し前に「今日の日本には自衛の実力がないので、米国と相互に安全保障の取り決めをなしえない」との意向を伝えた。

 まだ独立しておらず、自衛力といっても前年創設されたばかりの警察予備隊(自衛隊の前身)しか持たない日本であったが、米国と集団的自衛の関係を設定して、沖縄の安全になんとしても関与したいという苦心の提案だった。

 当時、日米交渉を担当した西村熊雄外務省条約局長はこの文書について「当時の交渉者の意気込みの形見」と述懐した。

 実は、集団的自衛権と沖縄は切っても切れない関係にあった。

 昭和47年5月15日の沖縄返還まで、米国統治下にあった沖縄に対して日本は個別的自衛権を発動することはできなかった。

 だが、米軍が駐留しているにせよ、なにかあった場合、日本としては手をこまぬいていることはできず、せめて集団的自衛権の行使で対応せねばならないという沖縄への思いがあったようだ。

 だからこそ、昭和35年3月31日の参院外務委員会で、林修三内閣法制局長官は「集団的自衛権を私は日本の憲法は否定しておるものとは考えません」と答弁したといえる。

 それに先立つ昭和30年8月、重光葵外相はダレス国務長官に対し、西太平洋を条約区域とする日米相互防衛条約案を提示した。

 日米ともに集団的自衛権を行使する案だったが、ダレス氏は「今の日本の憲法では海外派兵ができないだろうから、米国領土であるグアムが攻撃されても日本は助けに来られない」と一蹴(いっしゅう)したという(坂元一哉大阪大学教授の「安保改定における相互性の模索」)。

 現行の政府解釈は沖縄返還から9年後に確立された。固まってきたのは昭和40年代半ば以降だ。

 沖縄返還に伴い、日本の安全は個別的自衛権ですべて対処できるとし、集団的自衛権はもはや不要との判断が背景にあったようだ。

 現在、政府・与党内からは「何十年にもわたる国会答弁の積み重ねを考えると解釈変更は無理」との声がある。だが、変更を重ねてきたのが歴史的な事実なのだ。

 今の日本の命綱は、米軍と共に守り合う関係を強めることしかない。「集団的自衛権の行使は、わが国を防衛するための必要最小限度の範囲に含まれる」と、安倍晋三首相が過去の事例を参照して指示すればよいだけの話である。
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by sakura4987 | 2006-10-25 12:00

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