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◆【萬物相】「ローマ人の物語」 (朝鮮日報 06/12/18)

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/12/18/20061218000038.html

 英国オックスフォード大を中退した20代の青年エドワード・ギボンがヨーロッパ旅行に出かけローマに到着したのは1764年のことだった。古代遺跡「フォロ・ロマーノ」に感銘を受けたギボンはローマ滅亡の歴史を書くことを決心した。

 12年後に最初の本が完成し、それから12年かけて6冊の続編を著した。このトラヤヌス皇帝からビザンチン帝国の滅亡までの1300年にわたる歴史をつづった『ローマ帝国衰亡史」は不朽の名作としてその名をとどろかせている。

 ギボンは生前、「わたしは遠からず姿を消すが、わたしの本は永遠に残るだろう」と語っていた。

 日本の学習院大学を卒業した20代の女性、塩野七生がイタリアに渡ったのは1963年のことだった。高校生の時にホーマーの「イリアス」に心酔した彼女は、ヨーロッパや北アフリカ・小アジアを旅行し、西洋文明の魅力にとりつかれた。

 1970年から再度イタリアに渡った塩野は、日本でルネサンス時代を扱った作品を相次いで発表し、作家活動に入った。それから1980年代後半に古代ローマの始まりから滅亡までの2000年におよぶ歴史を記録する壮大な作業を開始した。

 塩野は1992年に『ローマ人の物語』の第1巻、『ローマは一日にして成らず』を発表し、「今後15年間に毎年一冊のペースで出版する」と宣言した。

 昨日、日本で第15巻の『ローマ世界の終焉』が発売され、塩野はこの約束を守った。ギボンに続き、ローマをめぐるライフワークに終止符を打ったのだ。

 『ローマ人の物語』は日本で540万部を売った。また韓国でも1995年に第1巻が翻訳されてから、200万部以上を売った。

 韓国と日本で『ローマ人の物語』が絶大な人気を得ているのは、まずは内容がおもしろいからだ。塩野の作品は歴史書と小説の結合体という意味で、「歴史評説」と呼ばれている。知的好奇心を満足させる豊富な情報量に加え、教訓に富んだ娯楽小説の一面を併せ持っている。

 塩野本人が「東洋人の書いた西洋史」であると強調しているように、道路・首都・医療といったローマの基盤施設(インフラストラクチャー)や支配層の道徳的責任(ノブレス・オブリージュ)に目を向ける発想も、韓国や日本の読者の時代的ニーズによく応えている。

 もちろん批判もないわけではない。ローマに対する過度な愛情を持つが故に、その初期のライバルであったギリシャに大して否定的な視点が目につくとか、マキャヴェリの崇拝者として権力主義・現実主義に偏っているといった指摘が上がっている。

 しかし一年の半分を資料収集と現地調査に費やし、残りの半分を著作活動に没頭するという徹底したプロ精神は、誰もが認めざるを得ない。東アジアに「塩野旋風」を巻き起こした彼女の姿勢から、韓国の作家たちも多くを学ぶべきだろう。
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by sakura4987 | 2006-12-21 09:00

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