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◆与党訪中団への危惧と盧溝橋事件 (国を憂い、われとわが身を甘やかすの記)



2007/01/19

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/103746/

 今朝の朝日新聞は政治面で、「与党、訪中ラッシュ 雪解けムード演出狙う」という記事を載せています。「自民、公明両党の国会対策委員長が20日から4日間、北京を訪れるの皮切りに、党三役クラスなどの訪中計画が相次ぐ」という内容です。

 朝日が報じているように、今月に入ってすでに公明党の太田昭宏代表が中国に行っていおり、自民党の二階俊博、公明党の漆原良夫両国対委員長があす、中国へ出発します。

 また、自民党津島派の議員も中国詣でをするようですし、2月末には自民党の丹羽雄哉総務会長、3月には自民党の中川秀直、公明党の北側一雄両幹事長も訪中する予定です。

 …どうしてこう国会議員は中国に行きたがるのか。ちょっと目を離すとすぐ朝貢外交を始めようとするのか不思議でなりません。

 このうち何割の議員が先方と本当に有意義な議論をし、日本の主張を正しく伝えるだろうかと心配でなりません。ただ、中国側に利用され、歓待されて喜んで帰ってくるだけの人もいそうですね。

 安倍政権になって、「表面上」は日中関係が好転したからといって、このはしゃぎようは何なのかと思っていたら、あの中国傾斜が甚だしい公明党議員の中にも、「こんなことでいいのか」と現状を憂いている人がいるようです(同僚の取材メモによると)。

 しつこいようですが、公明党議員ですらそう思うのに、議員は中国に行くこと、招かれることがステータスであるとでも勘違いしているようです。思う壺にはまっているなぁ。

 小泉前首相は就任後の初訪中の際だったか、北京郊外の盧溝橋に連れて行かれ、日中戦争への反省の弁を述べさせられました。

 盧溝橋といえば、日中両軍(この場合の中国軍というのは、主に国民党軍)の全面衝突のきっかけとなった昭和12年7月の盧溝橋事件の舞台ですね。

 中国側は、これを日本側が仕掛けたとして、記念碑をつくり、反日の聖地にしているわけです。

 別に盧溝橋だけでなく、中国は日本の国会議員や修学旅行の学生を南京大虐殺記念館に代表されるあちこちの反日記念館に連れていきたがります。

 で、歴史をよく知らない議員や、もともとサヨク・リベラル体質な人は「日本はもっと反省せねば」と中国の仕掛けた罠に引っかかっていくという構図ですね。ワンパターンではあるけれど、効果のある手法だと思います。

 それで本日は、10数年前に神戸に行って取材した平尾治さんという方の著書「或る特種情報機関長の手記-わが青春のひととき-」という本から、盧溝橋事件に関する記述を紹介したいと思います。

 この方は、支那派遣軍特種情報部部員、済南機関長などを経て、戦後は陸上自衛隊に勤務し、退官後には在日米陸軍図書部顧問などを務めていたそうです。

 本から引用しますが、要は事件は中国共産党が仕掛けたという証言です。


 《私が北京の方面軍司令部に在勤の折、上司の秋富繁次郎大佐(陸士29期生)に盧溝橋事件の真相について質問してみた。大佐は即座に中共の仕業に間違いないと言われ、その理由を次のように語られた。

 支那駐屯軍は当時天津に軍司令部が置かれ、その司令部内に少佐を長とする特種情報班が配属され、無線による情報収集に任じていた。

 班に所属する通信手が盧溝橋事件発生の深夜、北京大学構内と目される通信所より、延安の中共軍司令部の電台に緊急無線で呼出が行われているのを傍受した。

 電信内容は平文の明●(※石へんに馬)で「2052 0501 0055」ー成功了ーうまくいったーと三回連続して反復送信したという。

 その時は何がうまくいったのか判断に苦しんだが、数日してこれは盧溝橋で日中両軍をうまく衝突させることに成功したと、報告したことに間違いないとわかったとか。

 この電報は中国軍の機要室でも傍受したらしく、青島で戦後中国参謀と会談の際、出所ははっきり言わなかったが、盧溝橋事件の直後、延安に成功電報を打ったから、これは中共の陰謀であったと話していた。》


 《東京裁判で、連合国側は盧溝橋事件は日本軍が起こしたものと判断し、当時の責任者として河辺旅団長、牟田口連隊長を戦犯として起訴拘留していた。

 ところが昭和23年頃だったか、中共政府の劉少奇副主席が突然西側諸国の記者団に対し、証拠を示して盧溝橋事件を起こしたのは自分が北京大学の学生を使って発生させたものであると発表した。

 東京裁判判検事団は大騒ぎとなり、すぐ二人の戦犯容疑を取消して釈放された。

 この頃中共政府は日本に対しとても好意的で、毛主席も日本の訪中団に対し、中国の共産革命が成功したのは、旧日本軍が国府軍を撃破してくれたお陰だと、とても感謝していたとか。

 又盧溝橋事件の裏づけとして、戦後中共軍に入隊していた葛西純一氏が、中共の47年(昭和22年)人民解放軍総政治部発行の「戦士政治読本」には、「7・7事変は劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が、決死的行動を以って党中央の指令を実行したもの」と記されてあると、手記を発表されている。

 なお仄聞する処によると、この事件の首謀者は、中国革命の最大功労者として表彰されたとか。》


 なにぶん、私が平尾さんに取材したのは10数年前のことであり、こうした本の記述について平尾さんがどう解説してくれたのかは記憶に残っていません。

 この記述がまるっきり正しいものであるかどうかは、私の知識では判断できませんが、改めて読み返しも興味深いなあと感じました。中共は昔からしたたかです。

 ですから、訪中団の方々には、決して先方の主張や言い分を鵜呑みにしないようにお願いしたいです。

 そして、毛沢東がかつて社会党の議員に言ったのと同じことを言わせろとは要求しませんが、せめて「今日の中国があるのは日本のODAをはじめとする支援のおかげだ」ぐらいの言葉を聞いてきてほしいところです。

 まあ、訪問すると決まったものをドタキャンするような、そんな中国の呉儀副首相のような非礼なまねをしろとは言いませんが、間違っても、歴史がらみで勝手な口約束などして、日本政府の手足を縛るようなことのないように。

 また、自民党の某大物議員のように、相手国に取り込まれ、利用されて二元外交に走ることのないように重ねてお願いします。
by sakura4987 | 2007-01-24 13:30

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