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◆戊辰戦争の真実  避けられた東北での戦争 (世界日報 07/2/4)



会津藩の謝罪許さず/西郷の不在で暴走

 戊辰(ぼしん)戦争は、明治時代の夜明けとなる一八六八年(戊辰の年)に始まった薩長土軍(西南軍)と旧幕府軍との戦い。

 京都近郊で起きた鳥羽・伏見の戦いに始まり、上野での彰義隊の戦い、仙台、米沢藩らの奥羽越列藩同盟から会津落城を経て、六九年、函館五稜郭の戦いで終了した。

 敗北した東北は朝敵・賊軍とされ、新政権下で冷遇される。

  ◇   ◆   ◇

松平容保が長州勢を駆逐した蛤御門の変

 十四歳のとき戊辰戦争を経験した南部藩(岩手)出身の宰相・原敬は、「戊辰戦役は政見の異同のみ、当時勝てば官軍、負くれば賊軍との俗謡あり、その真相を語るものなり」と語っている。別名東北戦争とも呼ばれたこの戦いの真相は何だったのだろうか。

 一八五三年のペリーの来航を機に、天皇の住む京都は、尊皇攘夷の思想が広がり、西国各藩の志士が朝廷に働きかけるべく集結、攘夷を実行しない幕府に業を煮やし、開国論者や安政の大獄に手を貸した者を暗殺するなど、治安は悪化の一途をたどっていった。

 幕府は六二年「京都守護職」を設け、奥州の会津藩主・松平容保(かたもり)を立てた。危険な職であったが、容保は開藩時に徳川家に恩義を受けた会津藩主として受けざるを得ず、千人の藩兵を率いて入京。拝謁を期に、孝明天皇からも厚い信任を受けるようになる。

 一方、過激な公家たちは長州藩を抱き込み、政権奪取を画策。倒幕のための勅許、容保暗殺計画などを画策した。しかし容保は八・一八の政変(六三年)や、蛤御門の変(六四年)で、長州勢と過激派の公家たちを京都から排除。

 追われた長州も、圧倒的な砲撃力の欧米の実力を知るにつけ、攘夷より開国へと思想を転換、軍事力を蓄えもっぱら倒幕に力を注ぐようになる。

 六六年十二月、公武合体派の孝明天皇が崩御し、容保は窮地に立たされる。あとを継いだ幼い明治天皇は、長州とともに勢力を盛り返した公家たちに取り囲まれ、長州は倒幕へと考えを変えた薩摩と同盟を果たし、朝廷から倒幕の勅令を引き出した。

 十五代将軍徳川慶喜は先手を打って、六七年十月大政奉還を、同年十二月王政復古を行うが、慶喜に辞官と領地返納が命ぜられる。公武合体派はこれに反発。

 会津・桑名藩を中心とする旧幕府側は、薩長の挑発もあって、翌年一月三日、鳥羽・伏見へ進撃するが敗退した。江戸に進軍する西南軍に対し慶喜は恭順し、勝海舟・西郷隆盛の会見などにより、江戸城を無血開城した。


会津戦争終結の場となった会津若松城の天守閣

 一方、会津は西南軍の振り上げた拳の落しどころとなった。長州の恨みを買っていた容保は江戸城への登城禁止となり、さらに西南軍は奥羽諸藩に非情の会津征伐を命じたのである。

 東北人同士の戦いを避けたい諸藩は、会津を助けるべく同盟し、会津助命を訴えるが聞き容れられなかった。

 新政府の奥州鎮撫総督に対し、大総督府が、松平容保は死罪にせよとの秘密指令を与えていたからだ。鎮撫軍の世良修蔵下参謀らは会津の恭順、謝罪、歎願の申し入れをことごとくはねつけた。

 大山柏著『戊辰戦争史』によれば、この指令が出されたとき、穏健派の大参謀西郷隆盛が遠く名古屋に在るなど、大総督府に重鎮が軒並み不在だった。

 大総督府指令は、留守居役を務めていた林通顕下参謀の独断で出されていたのである。

 六八年四月、日頃の横暴な態度と、無理難題を迫る世良に激昂した仙台藩士らはついに世良を斬殺。この事件を機に、奥羽越列藩同盟軍と西南軍の激突となり、婦女子を含め一万人近い戦死者を野にさらす結果となった。

 もし、西郷がいれば、これほど無益な血を流さなくてもすんだかもしれない。事実、西郷はのち、薩摩藩邸を焼き打ちした庄内藩を寛大に扱った。敗者をなおも痛めつけるのは人の道に反するとし、むしろ新しい時代の同胞としようとする考えだったからだ。

 話題の『国家の品格』(藤原正彦著)には、弱い者いじめをしないというのが武士道であり、その意味で日中戦争は最も恥ずかしい卑怯なことだったとある。

 先祖が会津藩の兵士として参戦した作家の星亮一氏は、今日のような、依然として成熟していない国家としての品格を失った日本は、そのはしりが戊辰戦争だったとし、さらに大陸半島に対する非道のはしりもそこにあったと指摘する。

  ◇   ◆   ◇

 M・V・ブラントは公正でシリアルな目で見た維新史『ドイツ公使が見た明治維新』で「明治維新とは国家的事業というよりは、むしろ薩長土連合によるいわば、北軍に対する南軍の勝利としての諸藩の妥協の結果である」と結論している。

 両軍とも、朝廷を守護し、開国するという点では同じであった。戊辰戦争は、改めて明治維新の意味を、そして国家の品格を問い直すよい材料となるのではないか。

(市原幸彦) (サンデー掲載:2月4日)
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by sakura4987 | 2007-02-08 16:10

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