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◆【政界今昔話】説明責任 (世界日報 07/6/1)



日本PRで気を吐いた大来元外相

松岡前農水相は真情吐露せず逝く

 日本人は説明が下手だ。松岡前農水相も幾つかの遺書を残して覚悟の自殺をしたが、結果的にはその悲劇的な経過と結果については何の説明もしていない。国会の答弁も通り一遍で終始し、真情を吐露するまでに至っていなかった。

 死の直前まで凄愴苛烈(せいそうかれつ)に攻め立てた野党もすっかり鉾(ほこ)を収めてしまった。「ご冥福を祈る」と神妙を極めている。

 これは一種の日本的な公序良俗の表れかもしれない。死ねば誰でも神様だ。屍には鞭打つ真似はしない。野党もその辺は心得ている。

 しかし、この公序良俗は日本だけの美徳だ。外国では通用しない。

 例えば「南京大虐殺」や「慰安婦」をめぐる日本叩きは、いまだに世界にはびこる。もう半世紀以上も前の事件だ。事実関係の正確な検証もないまま、思い込みが先行している。

 彼らの安価で、無責任な人道主義には辟易(へきえき)するが、分かるように説明責任を果たさない日本も悪い。

 そこで思い出すのが、大来佐武郎の「せめてボクぐらいの人間が千人いたら、日本の国際的評価も変わるだろう」との言葉だ。

 大来は大平正芳内閣の外相を務めた。ただし政治家ではない。官僚上りの民間人だ。かつて、河野洋平現衆院議長の「新自由クラブ」に担がれて参院選に立候補したことがあるが、一敗地にまみれた。

 大来は英語が流暢だ。もっとも、その英語はロイヤル・イングリッシュではなく、現役の役人時代にタイのバンコクのエカフェ(国連アジア極東経済委員会)の事務局勤務中に覚えたピジョンイングリッシュだ。

 しかし、現地で叩き込まれただけあって、いささか下品でもよく通じ、その上、説得力があった。いわば訥弁(とつべん)の雄弁だ。

 それは、大来の日本歴史の深い造詣と、円満な常識の裏付けがモノをいったためでもあった。

 大来は別に頼まれたわけでもないのに、日本バッシングが大きな顔で罷り通りそうな時には、単身乗り込み、日本を擁護し陳弁これ努めた。話せば分かる。日本の立場が理解され、逆に日本の善意に拍手が起きる。

 小さいながら、大来の民間外交がどのくらい日本のPRに役立ったか知れない。大来はその経験から説明の重要性を身を以って知った。「せめてボクぐらいの千人の日本人」は以後、大来の口ぐせになった。

 沈黙は金ではない。ダンマリは弱者の遁走(とんそう)だ。日本人は事なかれの内弁慶から、厚かましい外弁慶に変身する必要がある。
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by sakura4987 | 2007-06-02 14:17

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