◆【野口裕之の安全保障読本】祖国亡ぼす法的手続き
(産経 07/5/24)
「自滅・亡国」「日米同盟破綻(はたん)」
北朝鮮の弾道ミサイル襲来を想定し、専門家が集まりシミュレートしたときのこと。不気味な結果に、参加者は戦死者鎮魂の黙祷(もくとう)のように、1分間ほど押し黙ったままだった。
北朝鮮の弾道ミサイルが日本本土に落ち死傷者が出た。さらなる攻撃の可能性があった-。シナリオはここから始まった。
北朝鮮は「攻撃」という言葉も、「意図的発射」を示唆する文言も発しなかった。これでは、模擬弾頭や切り離されて飛来したミサイルの一部である可能性を排除できない。
従って政府は「防衛出動待機」下令の前提条件「武力攻撃予測事態」の判定ができずにいた。
追い打ちをかけるように、北朝鮮は「ロケット発射実験の失敗」を公表した。1998年に日本列島を飛び越したテポドン1号を「人工衛星打ち上げ用」と主張したときと同じレトリック。
参加者の1人が「東京を火の海にしてやる-と宣言してくれれば、判定は迅速に下せるのだが」と、つぶやくのが聞こえた。
「武力攻撃予測事態」認定と「防衛出動待機」下令は、同時が理想的である。だが「第2、第3波の攻撃」が予見されないうちは「防衛出動待機」は下令できなかった。
と、ここで前に進めなくなった。
そこで「政府が新たな発射を裏付ける北朝鮮側言動を確認した」というシナリオを加えた。
その結果、政府は「財政難による装備の陳腐化や訓練不足などから生起する軍部の、飢餓から起こる国民の、それぞれ不満に配慮。軍のガス抜きと国民の不満をそらすため、ミサイル発射など、国威高揚策を続ける」とする分析結果を、どうにか引き出した。
ようやく「防衛出動待機」が命じられた。ミサイルが発射され、日本国民に死傷者が出ているにもかかわらず、待機命令までの何と長いことか。
もっとも、待機命令を受けても自衛隊が取れる軍事行動は防御陣地構築など、ごく限られている。
「防衛出動」発令となると、さらにハードルは高かった。発射準備中のミサイルに、化学剤を詰め込んだ弾頭を搭載する状況を、米軍事衛星がとらえるなどの前提が必要となったからだ。
「武力攻撃事態」と認定され「防衛出動」が下令。自衛隊が敵基地攻撃力を飛躍的に向上させたとの想定で、日米による「先制攻撃」が実施された。
ところが、国際法でも国内法でも許されている「先制攻撃」に、野党や一部の“市民”から非難が起きた。
与党左派は「防衛出動」が「緊急時の事後(国会)承認」だったため批判を強め、野党も呼応して政局は混乱した。
事前・事後承認共に合法だが、防衛大臣が「作戦は秘匿して初めて戦果が上がる。事後が軍事的合理性にかなう」と答弁しても、野党は反発した。政局が混乱の極みに達したころ、北朝鮮は攻撃を再開させた…。
シミュレーションの概要説明はここらで終える。
「戦後レジーム=体制」の範囲内で危機に対処すると、冒頭紹介した不気味な結果にたどり着く必然を確認した。
実は、日米による先制攻撃を「集団的自衛権行使」として、野党や一部の“市民”が反対したが、あきれるほかない。かかる状況は、日本が狙われた「日本有事」で、日本が主体的に国土防衛する「個別的自衛権行使」の事態。
日米安全保障条約第5条では日本領域での日米いずれかへの攻撃に対し「共同防衛」が記されているが、それは日本が主体的に行動して初めて機能する。
シミュレーションでは、日本が第1波の先制攻撃を率先しなければ、米軍が動かなかったケースもあった。
どのシミュレーションでも時間がむなしく流れた。理由は歴然としている。「国家の意思決定メカニズム」「防衛力を効率的に運用する法的基盤」の欠如である。
安全保障に「不測の事態」は付きもの。だが、意表をつく敵の作戦行動で「不測の事態」が起きるのではなく「意思決定メカニズム」「法的基盤」の欠陥により、わが国自らが「不測の事態」を生み出してしまう。
シミュレーションで費やした膨大な時間は、現実の危機対応時間の長さを暗示している。10分弱でミサイルが着弾する時代。法的手続きや議論を踏んでいる間に祖国は亡(ほろ)んでいる。