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◆【緯度経度】ワシントン・古森義久 憲法の生い立ち想起



 (産経 07/6/30)

 日本の国政の場での論議は、年金問題、朝鮮総連問題、慰安婦問題など、皮膚感覚としてはきつく迫る課題に追われているようだ。だが、その余波で国民が選ぶ国家のあり方の骨幹を決める憲法の問題が、ないがしろにされ始めた観がある。

 現代の国民の意識や価値観、日本を取り囲む国際情勢、そして主権国家としての本来の均衡などのいずれからみても、少なくとも再考が不可欠となってきた現憲法への前向きな取り組みが、こうした状況下で後退してしまうことは、将来に禍根を残すだろう。

 そんな思いから、わが内なる憲法再考の軌跡を改めてたどってみた。


 私が日本の憲法への基本的な疑念を感じるようになったのは、その憲法草案を書いたチャールズ・L・ケイディス氏に1981年4月に長時間、インタビューしたときからだった。

 同氏は日本を占領したGHQ(連合軍総司令部)の民政局次長だった米陸軍大佐で、法律家でもあり、1946年2月に日本の憲法を起草する実務責任者となった。

 基本方針こそ米統合参謀本部やマッカーサー総司令官から与えられたものの、ケイディス氏はかなりの自由裁量権をも得て、二十数人のスタッフを率い、わずか10日足らずのうちに、一気に日本国憲法草案を書き上げた。

 とくに第9条は自分自身で書いたという。

 憲法起草当時に39歳だった同氏は私が会ったときは75歳だったが、まだ元気にウォール街の法律事務所で働いていた。彼は、憲法をどのように書いたかについての私の数え切れないほどの質問に、びっくりするほどの率直さで答えた。

 こちらの印象を総括すれば、日本の憲法はこれほど大ざっぱに、これほど一方的に、これほどあっさりと書かれたのか、というショックだった。

 この会見当時、日本側では「憲法を見直す」というような言葉を口にしただけで、「軍国主義者」とか「保守反動」というレッテルを貼られる時代環境だった。

 だが、神聖なはずの日本憲法が実は若き米人幕僚たちによってあわただしく作られ、しかも日本人が作ったとして発表されていた、というのだ。だから、そのへんのからくりを正直そうに話してくれたケイディス氏の言葉は、ことさら衝撃的だったのである。


 同氏はまず第9条の核心ともされる「交戦権」の禁止について「日本側が削除を提案するよう私はずっと望んでいたのです。なぜなら『交戦権』というのが一体、なにを意味するのか私にはわからなかったからです」と述べて笑うのだった。

 彼は交戦権という概念が、単に戦争をする権利というよりも、交戦状態にあるときに生じるさまざまな権利ではないかというふうにいぶかっていたというのだ。


 第9条の目的についてはケイディス氏は「日本を永久に武装解除されたままにおくことです」とあっさり答えた。

 ところが、上司から渡された黄色い用紙には憲法の簡単な基本点として「日本は自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する」と記されていた。

 だが、同氏は「この点については私は道理に合わないと思い、あえて削除しました」と語った。すべての国は自己保存の固有の自衛権利を有しており、その権利を否定すれば、国家ではなくなると判断したからだという。

 ケイディス氏はその自主的な削除を上司のコートニー・ホイットニー民政局長からは当初、反対されたが、最終的には通してしまった。


 もしケイディス氏の「一存」がなかったら、自衛隊はできなかっただろう。 


 第9条第2項の冒頭にある「前項の目的を達するため」という「芦田修正」も、ケイディス氏は「芦田氏に反対はないと告げたら、上官に協議しなくてよいのかと問われたので、その必要はないと答えました」と明かすのだった。

 この修正は、後に首相となる芦田均氏らが、第1項の戦争や武力の放棄は国際紛争解決の手段としてのみで、自衛は別だとするための挿入だった。

 ケイディス氏はさらに米側が憲法案を日本側首脳に受け入れさせる際、ホイットニー准将が原爆を連想させる「われわれは原子力エネルギーの起こす暖を取っている」との、原爆を連想させる表現で圧力をかけたことにも触れた。

 そして、ちょうど頭上をB29爆撃機が飛んでいたため、その言が日本側への威嚇の効果を発揮したことも、淡々と認めたのだった。

 いままたすっかり遠くなった日本国憲法の生い立ちだが、現在の憲法問題の持つ重みを考えると、あれこれまた想起されてきたのだった。
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by sakura4987 | 2007-06-30 08:59

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