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◆【やばいぞ日本】第1部 見えない敵(1)中国軍に知られたF2の欠陥



 (産経 07/7/14)


 「F2の弱点は隠しても無駄だ。中国軍幹部にも知られているんでね」。航空自衛隊元幹部が重い口を開いた。

 F2は総額3700億円以上を投じ、米国の戦闘機F16を土台に日本の誇る先端技術を取り込んだ「日米共同開発」の産物だ。

 1990年に開発を始め、対地・対艦用の支援戦闘機として設計されたが、対艦ミサイル四基を搭載すると主翼が大きく振動する欠陥が直らない。

 支援戦闘機としては失格でも、爆弾を積まなければ自由自在に舞うことはできるとの理由で迎撃用戦闘機用として航空自衛隊三沢基地などに配備されている。

 しかし、戦闘能力についても「F2は韓国のF15Kに劣る。竹島の制空権は失った」と空の勇者たちは嘆く。

 2004年当時、石破茂防衛庁長官は「国民に説明できないものは買わない」と調達打ち切りを言明した。

 防衛省は当初予定141機だった総調達計画数を最終的に94機まで削減し、今年度を最後に購入は終了する。だが、いまなお「失敗」を認めようとしない。

 防衛省技術研究本部の秋山義孝事業監理部長は「航空幕僚からのより高度な要求を満足させるため今でも改良を重ねている。失敗だとは思っていない」と強調すれば、航空幕僚幹部は「置かれている条件からすれば妥当な成果を出せた」と慎重に言葉を選ぶ。

 80年代末、米国防次官補としてF2の日米交渉を担当したアーミテージ元国務副長官は「失敗じゃないって?うまくいっていないのに」と目を丸くする。

 米国では防衛技術の場合、「スパイラル理論」が常識になっている。失敗の原因を見つけ、改良とテストを繰り返す。

 さらに実戦の経験を生かす。失敗を認めてこそ成功に導ける。欠陥を隠蔽(いんぺい)したり、解決を先送りすると“進化”できない。

 F2の悲劇はミスを取り繕うことから始まった。1990年代、防衛庁とメーカーの技術陣は「ニュー零戦」の野望に燃えていた。日本の技術である炭素繊維複合材を主翼に採用する挑戦が始まった。

 ところが強度不足で所定の超音速で飛行すると主翼が付け根からはがれてしまう。設計が悪かったのだ。

 現場は一から強度計算し直し、抜本的に設計変更しようとしたが、予算システムの壁があった。

 「開発費が一挙に膨らみ大蔵省(現財務省)から拒絶されることが怖かった。結局、複合材に鉄板を入れるなどして付け焼き刃を重ねた」(F2試作に参加した防衛省OB)。

 防衛省やメーカーの優秀な頭脳はパッチワーク(継ぎはぎ作業)とその対応に投入された。その結果、米国が提供を拒否した飛行制御ソフトの自主開発という成果を出し、補強材入りの炭素繊維の翼で迎撃用戦闘機として飛べるようにはなった。

 だが、改良費用はかさみ、当初予定の開発費1650億円を倍増させた。開発期間も長期化した。「支援戦闘機として完成までにはあと60年かかる」という開発現場のうめきに、F2問題が凝縮されている。

 失敗を直視しないという慣行については防衛省だけを責めることはできないかもしれない。

 90年代のバブル崩壊後の「空白の10年」は、政府が膨大な不良債権の存在から目を背け、公的資金投入を決断できず、小出しの景気対策など弥縫(びほう)策を重ねたことが背景にある。

 現在の年金記録紛失の根本原因も、保険者番号のない社会保険庁のシステムの失敗にある。なのに、番号制度の早期導入議論を先送りにして問題の本質に目をそらしたまま、政争だけが盛り上がっている。

             ◆◇◆◇◆◇◆

 ■失敗認めぬ“官僚風土”

 F2を製造している三菱重工業小牧南工場の一角には、真っ黒な機体もどきが鎮座している。

 次世代機の国産化も辞さないとする意思を誇示し、F2の悲劇を繰り返さないようにしたいと、防衛省と三菱が見様見まねでつくった実物大のステルス戦闘機の模型だ。現にフランスに持ち込んでレーダーに映るかどうかの実験もした。

 1980年代後半、日本はバブル経済の絶頂期。防衛庁には「絶対に米国を越えられるという夢があった」(防衛省幹部)。

 「FSX」(次期支援戦闘機)の国産化をめざしたが、米国からエンジン技術を提供しないといわれてあえなく挫折した。F16(ロッキード・マーチン社製)を母体とした共同開発でいったん合意したが、「日本が米国を飲み込むという議会などの脅威論に押され、ブッシュ政権発足当時のベーカー国務長官には対日関係安定を考えるゆとりがなかった」(アーミテージ氏)。 

 ブッシュ(父)大統領は、(1)中枢技術の飛行制御ソフトの供与中止(2)日本から無料、無条件で炭素繊維複合材の一体成型加工技術とレーダーの素子技術の提供を約束させよと、ベーカー長官に命じた。

 ベーカー長官の書簡一通だけで日本政府首脳の腰は砕け、「日米共同開発」の名目をとるのが精いっぱいだった。製造作業分担は日本6に対し、米4だが、収益配分は逆の4対6だった。

 ロ社が炭素繊維技術を使ってF2の左側主翼を製造したのは、単なる練習台だった。目標は炭素繊維複合材をふんだんに取り入れた次世代のステルス戦闘機のF22AラプターとF35の開発で、いずれも成功した。

 防衛省は現在の迎撃戦闘機F4の次期戦闘機(FX)の最有力候補としてラプターに着目し、その詳細な性能情報の提供を求めているが、米国防総省は門外不出の構えを崩していない。

 日本の先端技術は、米国の戦闘機技術を一世代向上させるのに部分的とはいえ貢献したのに、米側の認識は「炭素繊維複合材のリーダーは米国」(アーミテージ氏)。日本は恩恵をほとんど受けられない恐れがある。

 同じ新素材を使いながらも、「世界の航空機の盟主」の自負心でもって、次世代機開発に取り組んだ米側にとって、「うまくいっていない」と見抜いた日本の航空機製造技術を冷たく突き放すのは、国際ビジネス競争の非情な現実そのものといえる。

 一方的な米側の要求に屈したことに伴って負ったハンデはあるにしても、失敗を失敗と認めようとせずに小細工を重ね、レトリック(修辞)を弄しては言い逃れる「無謬」の日本の官僚。

 在任中に問題を起こさなければ、それでよしとする「ことなかれ」主義が、問題の根本である。

 それは日本国内でまかり通っても、国際的には通用はしない。「共同開発」パートナーから、評価されないF2が象徴する。

 失敗を教訓にすることなく、糊塗するだけの“官僚風土”が、中国の侮りを受けるような防衛力の空洞化を招いているのだ。

             ◆◇◆◇◆◇◆

 ≪F2年表≫

1985年10月 次期支援戦闘機(FSX)選定作業開始

1987年 6月 栗原防衛庁長官とワインバーガー国防長官がFSXの「日米共同開発」で一致

1988年 6月 瓦防衛長官とカールッチ国防長官が米ゼネラル・ダイナミックス社(現在のロッキード・マーチン社)製F-16をベースにした「共同開発」条件で合意

1989年 2月 米上院議員24人がF-16の対日技術供与に反対表明

同3月 ブッシュ(父)大統領、対日技術制限を表明

1990年 3月 開発作業開始

2000年 9月 量産第一号機、航空自衛隊に納入

2004年12月 新防衛大綱で、F2量産機調達数を98機(当初予定は141機)に削減決定
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by sakura4987 | 2007-07-14 10:36

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