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◆【やばいぞ日本】序章 没落が始まった(2)



          「鈍さが工作員を取り逃がした」 (産経 07/7/4)


 辛光洙(シンガンス)。78歳。北朝鮮の工作員として複数の日本人拉致事件を首謀した容疑で国際手配されている。現在、北朝鮮に在住し、記念切手にも登場する“国家英雄”だ。

 金正日総書記から直接指示を受けた実行犯の彼は、拉致のカギを握るキーパーソンだ。この男を、日本は二度取り押さえるチャンスがあった。

 「辛はあれだけしゃべっている。なぜ捜査を前に進めようとしない」。 1985年夏、ある警察関係者に韓国の捜査官から、いらだった声で国際電話が入った。 

 その半年前に韓国の国家安全企画部(現・国家情報院)が辛をスパイ容疑で逮捕した。

 辛は韓国捜査当局の調べに対し、80年6月、大阪府在住の中華料理店員、原敕晁(ただあき)さん(43)を宮崎県の青島海岸に連れ出して工作船で拉致し、同人名義の日本旅券を不正に取得の上、対韓工作を行ったことを詳細に供述した。

 韓国側はこのとき、日本側による辛の取り調べを認めると打診してきた。ソウル五輪を控え、ぎくしゃくした関係を改善したいというシグナルでもあった。

 まもなく警察庁の捜査員約10人がソウルに飛んだ。10日間の滞在中、韓国当局の立ち会いの下、辛を直接取り調べた。ただ辛は拉致の容疑を日本の捜査員に認めようとはしなかった。

 韓国の捜査官には、原さんを拉致するため、中華料理店経営者である在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)大阪商工会理事長などにいかに近づき、抱きこんだか、を実名で生々しく供述していたのにである。

 韓国側は段ボール箱いっぱいの捜査資料を提供した。帰国した捜査員は一定の手応えを感じていた。事件としての立件は無論、辛に協力した総連のネットワークも追及できるからである。

 ところが、しばらくして、奇妙な展開になった。警察と検察が協議した結果、立件を見送ったのである。

 検察側は韓国側の調書について「証拠価値は低い」「この調書を証拠にすることは日本の刑事訴訟法にはなじまない」と主張したとされる。

 逮捕状が出なければ、身柄の引き渡し要求はできない。しかも当時、日韓間に犯罪者引き渡し条約はなかった。起訴できないとの結論の前に警察庁幹部は首をうなだれるしかなかった。

 当時、朝鮮総連などの動向を監視していた公安調査庁調査第二部長は、先月28日逮捕された緒方重威元長官であった。

 そんなころ、かかってきたソウルからの電話に警察関係者は返答に窮し「すまない」の一言を伝えるのが精いっぱいだった。その関係者は今、こう唇をかみしめる。

 「日本の警察、検察幹部は拉致問題への感覚が鈍かった。自制して後ろ向きになっていた。政治が動かないことにわれわれは安住していた」

 役人のことなかれ主義を象徴するかのように、段ボール箱は役所のどこかに22年間放置されたままである。

             ◆◇◆◇◆◇◆

 ■国民の安全守れぬ国家

 もうひとつのチャンスは、死刑判決を受けた辛が14年後の99年の大みそかに釈放されたときだった。

 北への「太陽政策」を表明した金大中大統領は、「ミレニアム特赦」後、2000年9月、辛ら非転向の長期囚63人を北朝鮮に送り返した。

 辛の送還に対し、横田滋さん、早紀江さん夫妻らは政府に「北への送還反対」を申し入れたが、森喜朗政権の腰は重かった。

 日本政府はそのころ、北への50万トンコメ支援を行うことを決め、河野洋平外相は「私の責任をもって行う」と大見えを切った。

 このコメ支援の国費1100億円がなんの成果を生まなかったのはご存じの通りだ。

 総連への捜査にも圧力が加えられていた。

 90年5月には警視庁が摘発した朝鮮総連元幹部らによる外国人登録法違反事件について故金丸信元自民党副総裁が「日朝関係に悪影響が出る」と警察庁幹部に捜査を拡大しないよう求めたとされる。

 金丸氏が、社会党の田辺誠副委員長(当時)らと訪朝して、「謝罪」と「戦後の償い」を表明したのはそれからしばらくしてからだった。

 辛ら19人の「政治犯」釈放を韓国大統領に求めた嘆願書に当時の国会議員128人が署名したのもそのころだった。

 ほとんどは土井たか子委員長ら当時の社会党議員だったが、菅直人、江田五月、千葉景子、山下八洲夫(以上民主党)、渕上貞雄(社民党)の現職議員の名前もあった。

 嘆願書は「過去の政治的環境の中で『政治犯』となった人びとばかり」と訴えていた。それが、現実といかに乖離(かいり)していたかは、韓国国家安全企画部が発表した辛の次の供述が物語る。

 《金正日の3号庁舎執務室で金正日から「日本人を拉致し、北に連れてきて日本人の身元事項を完全に自分のものにして、日本人として完全変身したあと、在日対南工作任務を継続して遂行しなさい」という指示を受けた》。

 国会で辛光洙事件への警察当局の対応を問題にしたのは、それから10年近くたった97年5月の衆院外務委員会での安倍晋三氏の質問だった。

 「韓国の裁判の記録に厳然たる事実があるのに、私は日本の警察はどうしているんだ、強い憤りと疑問を感じる」「辛への取り調べを行いたいという意思を伝えてもらいたい」。

 警察庁の米村敏朗外事課長は答弁で、公開捜査などの問題があり、日本国内関係者への強制捜査の実施には至っていないと説明した。

 結局、公安当局はその後、韓国側に辛への事情聴取を求めたが、今度は韓国側が受け入れようとしなかった。

 総連本部へメスが初めて入ったのは01年11月、小泉政権下であった。旧竹下派が影響力をもっていた政権では手を付けることはできなかった。 

 11月15日には横田めぐみさんが新潟市から拉致されて30年を迎える。 

 「辛さえ北朝鮮にとり逃すようなことさえなかったら、拉致事件はもっと解決に進んでいたはずです」

 横田さん夫妻が吐露する怒りと無念さだ。

 主権が侵害され、国民の平和と安全が蹂躙(じゅうりん)されたという重大な事実を知っていながら、官僚と政治家はなぜ、動こうとしなかったのか。

 日本人が拉致されたという現実を信じられなかったと弁明する人もいる。国民を守るという国家の最大の責務が顧みられなかったことに日本の国としての弱点が表れている。
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by sakura4987 | 2007-07-14 10:46

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