★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

◆亡国を選択した9月の教訓 (世界日報 07/9/27)



外交評論家 井上 茂信

日米戦招いた三国同盟

孤立回避の反ソが反米英に


自由主義と全体主義との戦い

 九月といえば思い起こされるのは、ヒトラーとの提携で日本の命運を狂わせた三国同盟の締結だ。日米開戦の前年の一九四〇年九月二十七日、ナチス・ドイツとファシズム国家イタリアと日本との間で日独伊三国同盟が結ばれ、日米関係は決定的に悪化した。わが国では太平洋戦争は米国の経済制裁で追い詰められた日本の自存自衛のための戦いと主張する意見がある。しかし、三国同盟の締結で欧米では自由主義陣営対全体主義陣営の価値観をかけた体制間の戦争と捉(とら)えられている。ブッシュ政権が北朝鮮、イラン、シリアを呼ぶのに「悪の枢軸」という言葉を使ったのも、全体主義国家の「枢軸」をつくった三国同盟への米国民の憎しみを示している。ヒトラーと手を結んだ日本は打倒すべき全体主義国家とみなされ、日米戦争は不可避となった。だからこそ三国同盟調印の責任者だった松岡洋右外相は開戦の報に「一生の不覚だった」と悔恨の涙を流したという。

 なぜ日本は三国同盟締結に踏み切ったのか。日米開戦二年前の一九三九年九月のドイツのポーランド侵攻で始まった第二次大戦でのナチス軍の破竹の勢いの進撃ぶりに幻惑され、ドイツと組めば米英に対抗できるのではないかと軍が錯覚したためだ。それにナチス・ドイツは米英中心の世界秩序の現状打破を狙う「革新勢力」とみなされた。支那事変の処理に困り果てていた日本の指導部は日独には共通の運命、共通の利害関係があると錯覚した。真珠湾攻撃はナチス・ドイツの勝利を当てにした一か八かの日本軍部の大博打だった。


事変の焦りと独電撃戦の幻惑

 一九四一年一月、近衛文麿首相は秘密会での報告で日本の大陸政策をめぐる英米との対決について「持てる国として中国の現状維持を望む英米と協調していくことは極めて困難」と述べた。欧州戦線の見通しについて「ドイツ側の勝利に帰することを信じている」と報告し、当時の指導部のナチスの勝利への期待を示した。

 三国同盟は一九三六年十一月に締結された日独伊防共協定の発展したものだ。同協定は世界の共産主義政党の統一体であるコミンテルンとソ連に対抗するためのもので、日本にとり一九三三年三月の国際連盟脱退後の孤立を防ぐ狙いもあった。それが三国同盟へと変質したのは、一九三九年八月、英仏との対決を優先したヒトラーが突然ソ連と不可侵条約を結び「防共」は意味を失ったためだ。このため平沼騏一郎内閣は「欧州情勢は複雑怪奇」の言葉を残して倒れた。

 近衛首相の秘書官を務めた高村坂彦氏はその著書の中で三国同盟について次のように述べている。「防共協定の目標はソ連だったが、三国同盟は百八十度の転回をして目標は米英となった。そればかりか、逆にソ連を枢軸側の味方として取り込もうという構想に変わった。日本は支那事変をなんとか解決したいと焦っていた。日独伊に加えるにソ連の力を以て英米を牽制し、事変解決を実現させようとした」。さらに「このような狙いは(帝国主義国家どうしを戦わせるという)人民戦線戦術を採用しているソ連に受け入れられる筈もなかった」と反省している。

 元外務次官で三国同盟下のドイツで任官した法眼晋作氏は著書「外交の真髄を求めて」の中で三国同盟のヒトラーの狙いについて「日本をアジアで暴れさせて英の力を分散し、ソ連をも牽制できればと考えていた」と述べている。また三国同盟締結は「ナチス軍の電撃戦の成功は軍神ヒトラーの功績だ」とのナチスの宣伝にひっかかった、ドイツ好きの大島浩駐独大使(陸軍中将)が強引に進めたものだった。大島を大使に推したのは同期の陸軍次官東條英機(後の首相)だった。結論として法眼氏は、三国同盟は支那事変解決に役立つと軍が錯覚したことと、米国が必ず英仏に味方することを軍が見逃していた点で大失敗だったと述べている。要するにドイツの電撃戦の成功は、日本の陸軍を鼓舞し、ナチスの唱える「世界新秩序構築のバスに乗り遅れるな」のムードを高め、三国同盟締結へとなだれ込んだのだ。


独軍の後退知らず真珠湾攻撃

 一九四一年十二月八日、日本は真珠湾攻撃を行ったが、法眼氏によると、同日ヒトラーの対ソ遠征軍最高司令官ブラウヒッチ元帥は「厳寒のため戦闘行為の続行は不可能になった」と宣言し、対ソ攻撃を中止した。中止は数週間前からの既定の方針と思われるが、大島大使がもしこの決定を知っていたなら、八日の開戦はなかったと思われると法眼氏は述べている。同氏は「米英に日本が勝てるのは、ドイツ軍の武力が圧倒的で、米英軍が欧州に長期間釘づけになるという前提条件があった場合だけだった。そのドイツ軍がモスクワも攻略できず、後退している事実を事前に日本が知っておれば真珠湾攻撃を中止するのが筋だろう。大島大使はドイツ側の絶大な信頼を得ていると称しながら、専らドイツの要求を本国に伝えるだけで、重要な情報は何ら知らされていなかった」と悔やんでいる。

 一九三八年十月ナチスの青少年組織「ヒトラー・ユーゲント」代表団が来日した時、政府、軍、マスコミ、言論界を挙げて日本が学ぶべき全体主義国家の理想的若者像として熱狂的に大歓迎した。当時、民主主義は利己主義と衆愚政治との軍の宣伝が行き渡っていた。軍の革新派将校、エリート官僚、言論人の中には天皇を戴いた共産主義かナチズムかに傾斜する者が多く、三国同盟の締結で開戦への道は決定的となった。
[PR]
by sakura4987 | 2007-10-10 12:45

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987