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◆【直言!日本の教育】 (世界日報 07/10/8)子育てに対する考え方を前向きに




中央大学名誉教授・大淵 寛氏


子育てに対する考え方を前向きに


 ――去年は合計特殊出生率(出生率)が1・32と前年に比べて若干上がりましたが。



 今年は、今出ている統計を見る限り、せいぜい横滑りか若干下がってしまうでしょう。出生率の低下傾向は変わりません。



 最大の原因は、人々が結婚して家庭をつくるということ、さらに重要な要素である子供を生み育てるということへの希望や喜びの感情を失ってしまっていることだと思います。このため、特に子供をいじめるような事件や社会的な問題が起こりやすくなっています。



 昔は、子供を育てることが楽しいことであり、子供は希望の象徴であるというのは当たり前でした。それが、このごろは相当強くそれを言っていかなければならなくなっています。



 そういうものの本を読んだり、偉い人から話を聞いたりなどという経験を積まないと、世の中のために立つことだというプラスイメージを持てなくなったのではないでしょうか。



 子育ては、苦しいこともありますが、それ以上に喜びがあるものです。今の人も、子育てが楽しくないことではないと基本的には分かっているはずなのですが、世の中のさまざまな情報が、子供を育てる上での人々の心に否定的な影響を与えています。



 ――学校教育の中で子育てを教えるべきだという声も高まっています。



 そうですね。結婚するのも子供を産み育てることを目的とすべきなのに、いまそう思われていません。以前は、大人がある程度の年になれば、結婚相手を探して家庭を築き、ごく自然に子供を育てていきました。



 しかし、最近の結婚は、子供を持つことが必ずしも目的ではないように思えます。かつては、結婚するということは、直接、そういう言葉は使わなかったにせよ、性欲を満たすために当たり前であり、自然なことだと思われていました。このごろは、必ずしもそのようには受け取られていません。また、お金で性欲を満たしやすい環境になっています。



 日本はできちゃった結婚が多い。そうしないと、なかなか結婚しないということでもあります。できちゃった結婚は、もう当たり前みたいになっています。できちゃった結婚による子供が、全出生児の中に占める割合は10%を超えています。それでも日本人は、子供を産む時「結婚していないとまずい」という気持ちを持っています。結婚式でできちゃった結婚です、という話が出るのは今ぜんぜん珍しくありません。



 昔だったら、人前だと恥ずかしく感じる人が多かったのですが、今は、男女ともそういう恥じらいの気持ちはないと思います。できちゃった結婚はまた、女性が男性に結婚することを決めさせる“武器”として利用してきたのではないかと思います。男性の方も、それが分からないわけではないですが、「この人なら結婚してもよいか」と思っていた場合、それを決める契機にしているようです。



 ――若者に少子化への危機感を持てといっても、若者が集まる大都市は、それがほとんど感じられません。さらに、女性は家庭で子育てするよりキャリアを磨く方が賢明だとの風潮が浸透し、結婚を遅くする傾向があります。若者の意識は逆の方向に向かっています。



 実際、東京などでは、少子化の進行を感じにくい。それでも、住民がどんどん年を取り、高齢化の進み方が著しい田舎では、そういう変化を嫌でも感じます。若者でにぎわうような場所はそうそうありません。都市部との違いはハッキリしています。



 六十五歳以上とか八十歳以上の人口比率という調査はよくやりますが、十五歳未満とか五歳未満の赤ん坊の人口比率などの統計をよく見ると、子供の比率が非常に低い市町村があります。同じ東京でも多摩地区は随分、他の地域と違って低いです。



 政府の少子化対策はほとんどうまくいっていません。冒頭に述べたように、今、子供をたくさんつくろうという気になれない状況があります。教育などで、いろいろと考え方を変えていく努力が必要でしょう。



(聞き手・山本 彰)



 おおぶち・ひろし 1936年東京生まれ。中央大学経済学部卒。経済学博士(経済人口学専攻)。90年、日本人口学会賞受賞。日本人口学会監事。華東師範大学(中国・上海)顧問教授。主著に「少子化時代の日本経済」。


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◆古典の教育からの解放? (産経 07/10/8 から一部抜粋)


 それにつけても思うのは、日本という国がなぜ文語を捨ててしまったのかということだ。国語学者の萩野貞樹氏の近著『旧かなづかひで書く日本語』(幻冬舎新書)によると、当用漢字告示の翌昭和22年、文部省(当時)が学習指導要領国語科編で「中学校の国語教育は、古典の教育から解放されなければならない」と高らかに宣言しているとのことである。



 「解放」とは一体何という言い草であろう。日本人にとって古典とは奴隷制度のようなものであったのかと、萩野氏ならずとも憤慨せずにはいられない。戦後レジームなるもののいかがわしさをここにも見て取ることができる。



 時代の制約とはいえ、文部省という役所はかつて、何世代にもわたって積み上げてきた日本人の精神文化を疫病神のように仕立てて、これを踏みつけにしたのだ。それで日本人が精神の背骨をなくしてしまったことは、日本人なら決して忘れてはなるまい。
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by sakura4987 | 2007-10-10 13:53

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