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◆アダム・スミスについて (転送不可)




 アダム・スミスは、学生の頃、グラスゴー大学で哲学者フランシス・アチソンの下で道徳哲学(=モラール・フィロソフィー)を学び、非常に優秀な成績でグラスゴー大学を出て、ケンブリッジ大学に留学しています。



 その後、帰国して、若くしてグラスゴー大学で論理学教授、次に道徳哲学の教授になっています。



 この、アダム・スミスが師事した哲学者フランシス・アチソンは、当時のイギリスで、リベラルな考え方を展開して哲学者の代表とされていました。



 「リベラル」という言葉は様々に使われているため、元の意味がよく分からなくなっていますので、整理します。



 「リベラル」の直接の淵源は、14世紀のダンテに遡ります。当時のヨーロッパ社会はキリスト教の教会の抑圧的な戒律で人間社会生活がコントロールされていました。それを、ダンテは教会と政治を批判し国を追われ、放浪しつつ神曲を構想したわけです。



 つまり、ダンテのリベラルは、「人間が人間らしく自由に生き、人間的な尊厳を守りながら胸を張って生きていけるような社会をつくるためにはどうしたらよいのか」という考え方でした。



 これが、14-16世紀のヨーロッパのルネッサンスとして花開いていきます。



 日本では、ルネッサンス=文芸復興と訳していますが、イマイチ、ピンときませんし、その意図がひと言でポンと伝わらないような気がしますね。



 つまりは、ルネッサンスは、「それぞれ各人が持てる能力を活かして人間らしく生きていくことを求めて展開された」動きでした。



リベラル=人間が人間らしく生きる自由、その自由に生きられる社会



 アダム・スミスは、人間を「幸福を追求する存在である」と定義しています。人間とは何ですか? と問われて、「幸福を追求する存在である」と答えているわけです。



 これが、「経済学」の大大大前提なのです。



 「幸福を追求する存在としての人びとが集合した姿、これが、社会です。」



 では、社会の中でどうしたら人間は幸福になれるのかを考えるわけです。この問いは、つまり、どのようにしてお互いの幸福を調整して生きていけるかということです。



そして、「人間は幸福を追求するときに2つの欲求を満たす存在である」と考えます。


 ・物的欲求


 ・精神的欲求



 「この2つを満たして、ホントウの幸福になる」と、いうのが、近代経済学の父、アダム・スミスの考察したことなのです。



 ですから、経済学では、最初から、「物的欲求」と「精神的欲求」を満たして、人間は幸福になると見ています。



 昨今のように、利益至上主義、数字のみが一人歩きする営業成績などなどは、極端な考え方であり、決して長く続けられるものではないのです。



 アダム・スミスは、モラール・フィロソフィーの教授ですから、こうした「物的欲求」と「精神的欲求」を満たしてこそ人間の幸福は得られることを分っていました。



 彼は、この2つの欲求のうち、まず、世の中に足りていない物的欲求をいかにして満たして豊かになっていくかについて、考察して理論化したわけです。



 つまり、東洋で言えば「衣食足りて礼節を知る」に近いですね。



 人間が、その人間的な感情を自由に表現できるような社会を求めるが、人間が人間らしく生きるためにはある程度経済的に豊かになっていなければならない。



そこで、経済という側面から、まずは、世の中を物的に豊かにしていく方法を考えたわけです。
by sakura4987 | 2007-10-10 13:57

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