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◆切捨御免!トノゴジラの放言・暴言



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 _/_/_/_/_/▼「靖國」8月号より抜粋 引用▼_/_/_/_/_/ 

 耳を澄ませば聞こえる 彼方からの声
 
            桜 林 美 佐(ライター・キャスター)
 
 (前半略、リンク原稿参照下さい)

 
 最新作は「拉孟(ラモウ)に散った花」。これは、中国の雲南省とビルマ(現ミャンマー)との国境付近「拉孟」で、五万人もの敵兵を相手に、僅か千三百名の将兵で百日余りも戦い、玉砕した「拉孟守備隊」の戦記であるとともに、「慰安婦」の物語でもある。実は玉砕した守備隊には、二十名の「慰安婦」も含まれていたのであった。



 この地が激戦となる前に、彼女たちを脱出させようと苦慮した守備隊長・金光恵次郎(野砲兵五十六連隊第三大隊長)に、「私たちは拉孟守備隊の母であり、妻である」として、脱出を拒んだ彼女たちは、守備隊の一員として戦い、五名の朝鮮人慰安婦だけを逃がし、全員が拉孟の花と散ったと言われている。



 玉砕の地がいずれもそうであったように、「掟孟」での戦いも壮絶であった。武器の無い守備隊に対し、有り金る攻撃力を駆使し、押し寄せる雲南遠征軍。しかし、湯水のように物資が流れ込む援蒋ルートを抑え、インパール作戦を戦う友軍に敵の手が及ぶのを一日でも延ばすために、守備隊は戦い抜いた。雨あられのような砲弾に応戦はもはや出来ない。凄まじい白兵戦、日に日に兵は、目、腕、足を失った者ばかりになっていく。



 そうした守備隊の兵は、敵の放った手榴弾を、這って行き、拾っては即座に投げ返す。これが武器も無く、手足も無い日本兵の戦い方であり、唯一の祖国への奉仕であった。少しでも敵を釘付けにすることが目的の戦いであり、ただ「死」のみが戦闘の終結を意味していた。この日本軍の戦いぶりは、敵の総司令官であった蒋介石をして「諸子はビルマの日本軍を模範とせよ」と言わしめ、これが敵将からの 「逆感状」と呼ばれたのである。



 そして、「拉孟守備隊」は強いだけではなかった。慰安婦たちをどうにかして助けたかった男たち。その男たちを見捨てることは出来ないと、軍服に着替え、看護や物資の運搬に奔走した女たち。その中には、両眼を失った兵と結婚し、彼の眼となって共に戦い、共に斃れた女もいたと言われている。二人は突撃して来る敵の声から、相手が少年兵と知るや、手榴弾を投げ返すことを躊躇した。それがふたりの最期の瞬間だと伝えられているが、なぜその時立ち止まったのか、その真実を知る術はもはやない。



 また、五人の朝鮮人慰安婦を脱出させたことも見逃せない事実だ。その中の一人が、あの悪名高き「女性国際戦犯法廷」において「日本兵の自決の巻き添えになるのを恐れ、逃げ出した」「私たちは置き去りにされた」と証言している。「逃げた」のか「逃がした」のか、その論議はあまりにも虚しい。ただ、彼女たちを死なせなかった元「慰安婦」を含む守備隊兵士たちの「優しさ」に敬意を表するのみであり、また彼等の慈悲を踏みにじるような所業には、怒りを通り越し、憐れみすら感じてまう。



 しかし、そんなことよりむしろ、守備隊と共に戦い、玉砕した女性たちは、その時すでに「慰安婦」としてではなく、まさに「兵士」として最期を迎えたのであり、彼女たちは靖國に祀られたいと願ったのではないか、という思いが頭をよぎる。これは今、米下院にまで波紋を広げている、いわゆる「従軍慰安婦」の「従軍」が虚構であることの、紛れもない証左であることは、皮肉な現実でもある。
 玉砕を前にして、金光守備隊長は木下昌已中尉(野砲兵五十六連隊)を呼び、かねてより命じてあった陣地脱出を促す。一緒に死なせて欲しいと、脱出を拒む木下中尉に金光は言う、「気持ちはよく分かる。しかしここで全員死んでしまったら拉孟守備隊の戦闘の様子は誰が伝えるのだ」。



 金光が託した「戦闘日誌」には、この地で繰り広げられた死闘の真実が記されていた。この日誌は、後に貴重な史料となるだけではない、遺族に対し、彼等の壮絶な散華の様を伝え残すことが、隊長としての責任であり償いであるのだと、何としてもこの「戦闘日誌」とともに脱出することを、強く望んだ。その翌日、金光は敵の砲弾を一人引き受け、最期を遂げた。その金光の意を受けて、木下中尉は決死の脱出を試み、奇跡としか言いようのない生還を果たしたのだ。



 「この戦闘の様子は誰が伝えるのだ」。この金光の言葉が六十年を過ぎた今でも、私には聞こえるような気がするのである。遠く雲南省の果てに、今なお守備隊兵士は孤立し、残されたままだ。金光は、この拉孟守備隊の真実を「遺族」に伝えることを望んだが、それはまさに私たちを指しているに他ならない。



 何故なら一億二千万の国民全てが「遺族」であると、私は考えているからだ。彼等が戦いぶりを「伝え」「残したい」と熱望した、「遺族」である我々日本人の頭の中に、「拉孟」の「ら」の字もあるだろうか、私たちは骨も拾わず、感謝もせず、ただ忘れるばかりの日本人ではなかったか。「古い上着」の内ポケットに忘れてきた「最も大切なもの」は、「英霊への想い」なのではないかと、私は思うのである。
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by sakura4987 | 2007-12-02 14:30

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