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◆2・26事件 裏面史つづる獄中手記発見



 (静岡 08/2/17)

 http://www.shizushin.com/local_social/20080217000000000008.htm


 昭和11年2月26日、旧陸軍青年将校らが首相官邸などを占拠し、政府要人を殺害した「2・26事件」で、10年の禁固刑を受けた山本又少尉(西伊豆町出身)の獄中手記が、同町の生家で発見された。事件の中心人物、野中四郎大尉(自決)が書いたとされる事件の「決起趣意書」は、実は村中孝次元大尉(死刑)が起草し、山本が書き写したと記されるなど、事件の研究に新たな視点を投げかけている。

 手記が記されたのは、事件から1年後の2月25日。「獄中、看守の監視の厳しくない夜中に手記する」―。真相を後世に残すべく、刑務所の中でひそかに書き始めている。事件前夜、決起趣意書が山本によって原紙に書き写される。手記には「この夜、同志代表を野中大尉に依頼する」とあり、趣意書を起草した村中が既に大尉を退役していたため、決行直前に代表名を現役軍人の野中にしたと書かれている。

 同事件を研究している神戸大国際文化学部の須崎慎一教授は、内容について研究や議論の余地があるとした上で、「聞いたことがない記述で、手記は貴重な発見」と語る。

 事件が終末に向かうさなか、徳川義親公爵から山本へ電話があったことも記されている。徳川公爵は昭和天皇との仲介役になりうる可能性があった人物。反乱軍の討伐を恐れた山本は磯部浅一元一等主計(死刑)に電話を取り次ぎ、討伐命令阻止のための橋渡しを徳川公爵へ依頼しようと考えたという。しかし、偶然磯部を訪ねていた山下奉文少将らとの問答の間に電話が切れてしまった。山本はその出来事を「全く全く残念でたまらない。同志の最期もなかったであろうに」と、自責の念をつづっている。

 村中と安藤輝三大尉(死刑)が刑執行の前に、「生き残ったら二・二六の日本革命史を書いてください」と、山本に告げていたことも書かれている。手記を山本の遺族から譲り受け、現代語に翻訳している同事件の研究家、鈴木俊彦さん(73)=下田市=は「山本は静岡連隊本部の書記官として3000人から選ばれた逸材。村中や安藤が後を託したい気持ちは当然だろう」と語る。

 出所後に同町へ戻った山本は、「死んだら手記を世に出してほしい」との遺言を家族に残し、昭和27年に58歳で死去した。山本の三女、照代さんは「ようやく願いがかなえられる。父もあの世で喜んでいると思う」と思いをはせた。


 ■2・26事件  「昭和維新」を唱える青年将校ら1483人が、当時の高橋是清蔵相、斉藤実内大臣ら政府要人を殺害し、警視庁や陸軍大臣官邸などを占拠した事件。2日後に「反乱軍は原隊に帰れ」との奉勅命令が下り、沈静化へ向かう。事件後、非公開の軍法裁判で19人が死刑となる。
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by sakura4987 | 2008-03-07 14:44

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