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◆志士のごとく生きた漱石


 (産経 2008/8/22)


 【君に伝えたい、日本。】脳科学者(理学博士)茂木健一郎


 明治以降の日本の文化史を振り返ったとき、忘れることができない人物の一人は夏目漱石である。日本の近代が漱石のような知識人を生み出せたことを、誇りに思いたい。

 漱石は、東京帝国大学を卒業。当時の文部省から英国に留学生として派遣された。いわば、「エリート」中の「エリート」であった。

 だが、漱石は決して奢(おご)らなかった。西洋列強の圧迫を前に急速に近代化を進めた日本の運命を悟っていた。大英帝国の栄華を極めていたロンドンで、漱石は日本人のあり方を見つめる。

 ぎりぎりにまでに自分や日本の存在を追い詰めた漱石にとって、世俗的な出世など、もはや価値があるものではなくなった。

 「死ぬか生きるか、命のやりとりをする様(よう)な維新の志士の如(ごと)き烈(はげ)しい精神で文学をやって見たい」

 鈴木三重吉宛(あて)の書簡に綴(つづ)られた言葉通りに漱石は生きる。東京帝国大学の職を辞し、作家活動に専念する。博士号授与の申し出も固辞する。そんな厳しい生き方の中から、『吾輩は猫である』に始まり、『坊っちゃん』『三四郎』『こころ』『門』と続く数々の傑作が生み出されていった。

 「大学」や「博士」といった符号に現代とは比べものにならないくらいの重みがあった当時、漱石の行動は世間の常識からは理解し難いものだった。しかしだからこそ、まさに「維新の志士」と言うにふさわしいものだった。

 ものごとの本質を見つめ、それに殉ずる。世間のしがらみや、社会の慣習に縛られず、本当に価値のあるものを生み出すことに全力を尽くす。そのような態度を持った人こそを、「志士」と呼ぶことができる。

 世間のしがらみや前例に配慮して「現状維持」を続けていたら、近代日本は一体どうなっていたか? 薩摩や長州を中心とした維新の志士たちが、「死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な烈しい精神」を持っていたからこそ、日本は世界史に類を見ない近代化に成功した。

 ひるがえって、現代の日本に、果たしてどれくらいの「志士」がいるのか? 世の中の流れに従い、お互いに談合していればその時は幸せかもしれないが、やがて歴史の審判は避けられない。

 「志士」の魂は日本人から失われてはいないはずである。時には漱石の小説でも読んで思い出してはどうだろう。

          ◇

【プロフィル】茂木健一郎

 もぎ・けんいちろう 昭和37年東京都生まれ。60年東京大学理学部、62年同大学法学部卒。平成4年同大学院理学系研究科物理学専攻課程修了(理学博士)。現在ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。17年「脳と仮想」で第4回小林秀雄賞受賞。
by sakura4987 | 2008-08-22 15:59

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