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◆【君に伝えたい、日本。】日本のくらしが続くかぎり



             京都産業大教授 ロマーノ・ヴルピッタ

 (産経 2008/10/10)


 1899年に日本を訪れたフランスの画家レガメは、日本の職人についてこのように述べた。「彼らは、私がどんなに彼らが好きであるのか、おそらく知るまい。また、自分たちに、どんなに愛される資格があるのかも知らない」と。

 レガメが日本を訪れるのは2回目だった。1876年にも彼は、フランス芸術界を風靡(ふうび)したジャポニスム(日本熱)に惹(ひ)かれて来日し、その時に自分が想像した「美の国」に出合って深い喜びを感じた。しかし、二十余年後の2回目の訪日では、彼が愛していたあの美しい文化が西洋化の荒波に流され、なくなりつつある事実を痛感した。ただ、職人の気質にはその文化の名残を認めたのである。

 ずっと後、日本浪曼派の保田與重郎は「三十三間堂の、工事仕事を見ると、今でもこんなまともな優れた工人いるかと、泪(なみだ)が出るほどうれしい。しかしそれらは名ある大工棟梁(とうりょう)に限らない。市井の住宅に出入りする伝統職人に、みなその風儀がある」と述べた。保田によると、彼らは最高のものを作るのは当たり前と思い、それ以下のものを知らない。

 「当たり前」とは重要な言葉である。昔からずっと、日本人は自分の仕事を天賦として受けとめ、それを全うするために全力を尽くすのは当たり前と考えてきたのである。この姿勢は意識的ではなく、日本のくらしという、生活の環境の中、自(おの)ずから生まれたものであると保田は指摘した。このくらしは職人だけでなく、一部の農家と商家にも引き継がれている。

 保田も晩年、京都の嵯峨の山荘で文人としての日本のくらしを営み、生活様式をもって自分の文化的理念を具現化しようとした。彼も、伝統の職人と同じように、最高を追求するのは当たり前と考えた。しかし彼の場合、この追求は無意識的ではなかった。日本のくらしの維持は、文人としての自分の天命であると意識していた。日本人が、一人でも日本のくらしを営む限り、日本は滅びないという、彼の揺るがぬ信念であった。彼にとって、嵯峨の山荘で営んだ風雅な生活は、日本文化を守るための戦いであった。

 保田は最後までその志を貫いたが、現在、日本のくらしがどのくらい守られているのだろうか。私が後世に残したいのは、あらゆる人間の営みに、最高を当たり前とする日本のくらしである。日本のくらしが続く限り、日本は滅びない。(次回は日下公人氏)

          ◇

【プロフィル】ロマーノ・ヴルピッタ

 1939年イタリア・ローマ生まれ。61年ローマ大学法学部卒。イタリア外務省入省。72~75年ナポリ東洋大学院日本文学担当教授。75年欧州共同体委員会駐日代表部次席代表。著書に「不敗の条件-保田與重郎と世界の思潮」など。
by sakura4987 | 2008-10-11 14:28

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