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◆【君に伝えたい、日本。】文芸評論家・慶應大教授 福田和也



 (産経 2008/10/3)


 ■武人の遺書が語るもの

 人の上に立つ者の覚悟、責任について考えてみたいと思います。

 明治43年、山口県新湊沖で潜航訓練中の海軍六号潜水艇が海水の浸入によって浮上できず沈没、佐久間勉艇長以下14名が死亡するという事故が起きました。潜水艇の事故は当時の外国海軍でも度々起きていて、引き揚げられた艇の扉を開けると、そこには多くの乗組員の遺体が群がって、脱出を我(われ)先にと争った醜態のあとさえありました。

 引き揚げられた佐久間艇の状況はそれとは全く異なってい、世界中がそれに驚きました。佐久間艇長は司令塔で指揮をとったまま、機関中尉は電動機の前に、機関兵曹は機関の前に、舵手は操舵席に就いたまま14名の乗組員がすべて各自の部署を守って息絶えていました。死を前に取り乱した様子はなかったのです。

 収容された佐久間艇長の軍服のポケットから、遺書が発見されました。沈没後は電燈も消え、酸素も刻々費消され、絶望の中で佐久間艇長は遺書をしたためたのです。

 遺書は、まず艇を沈め部下を死なせてしまったことを詫(わ)び、部下が最期まで冷静沈着に任務に尽くしたこと、沈没の原因とその後の処置について書き、最後に明治天皇に対し部下の遺族の生活が困窮しないように懇請しました。

 死の恐怖と向き合いながらこうした遺書をしたためられたのは、まことに感嘆するよりない。夏目漱石は佐久間艇長の遺書を国家の一大文書だと受け止めましたが、佐久間艇長以下の振る舞いを厳粛に受け止める感覚は、当時の日本国民であれば、大インテリから裏長屋の庶民までみんなが同じだったでしょう。

 こんな話もあります。大東亜戦争のサイパン防衛戦の作戦を立てた大本営参謀の晴気誠少佐は、自らの水際作戦が失敗した責任感から拳銃(けんじゅう)自決をしました。夫人あての遺書には、「…戦禍の下に散った人々に、お詫びを申し上ぐることは、予の当然とるべき厳粛なる武人の道である。サイパンにて散るべかりし命を、今日まで永らえてきた予の心中を察せられよ」と記されていました。少佐の自決は、終戦の詔勅が下された後、8月17日未明のことです。

 佐久間艇長も晴気少佐も、歴史の彼方(かなた)に忘れ去られる存在かもしれませんが、その遠くからの声を厳粛に聴きとめることこそ、いまの私たちに最も必要ではないでしょうか。(次回はR・ヴルピッタ氏)

                   ◇

【プロフィル】福田和也

 ふくだ・かずや 昭和35年東京都生まれ。慶応大学文学部仏文科卒。同大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。平成元年「奇妙な廃墟」で注目され、以後「日本の家郷」(三島由紀夫賞)、「甘美な人生」(平林たい子賞)、「地ひらく」(山本七平賞)など著書多数。
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by sakura4987 | 2008-10-11 14:33

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