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◆【ビューポイント】健やかな人生と安らかな死



 (世界日報 2008010/9)


 いのちの尊厳を保つ道  死生観はその人それぞれに


メンタルヘルスカウンセラー 根本 和雄

 いま、日本人の「平均寿命」は過去最高の男性七十七・一九歳、女性八十五・九九歳であることが厚生労働省の「簡易生命表」(二〇〇七年)で明らかになった。しかも六十五歳以上の高齢者は総人口の22・1%の二千八百十九万人で、この「高齢化社会」の到来は、いかに健やかな人生を過ごすかということと同時に、いかにその人らしい安らかに尊厳のある人生の最後を迎えるかという問いかけでもあると思うのである。

 なぜならば、日本人の痴呆(認知症)高齢者は百六十万人であるが、二〇一五年には、二百六十二万人、二〇二五年には三百十三万人と激増することが推定されているからである(国立精神神経センター推計)。

 また、六十五歳以上の長期ケア施設入所者のなかで寝たきり高齢者は33・1%で、このことは、いかに「健康寿命」(障害を調整した生存期間)を保つかということと、同時にその人らしい安らかな最期を迎えるかということと相俟って極めて大事なことではないかと思うのである。

 なぜならば、ローマの哲人セネカは“生きることは生涯をかけて学ぶべきことである。そして、おそらくそれ以上に不思議に思われるであろうが、生涯をかけて学ぶべきは死ぬことである”と『人生の短さについて』で述べているからである。その生涯をかけて学ぶべき死が、いまや日常生活から隔離されて隠された密室のなかで孤独な死が強いられているのではなかろうか。それは、フランスの歴史学者フィリップ・アリエスが『死を前にした人間』で指摘したように、「転倒された死」であり、意思のない意識すらない物に過ぎなく、孤独な病室で医療機器に囲まれて、ついに何も言わないで旅立ってしまうことを恐れずにはいられないからである。

 一九八一年九月にポルトガルのリスボンで開催された第三十五回「世界医師会」総会で採択された宣言(患者の権利に関わるリスボン宣言)は、“患者は尊厳のうちに死ぬ権利を持っている”(第五条)と明記している。つまり、それは患者自身にとって掛け替えのない私の死であって第一人称の死というべきであろう(フランスの哲学者・ジャンケレヴィッチ著『死とはなにか』でいう第三人称の死と区別して)。

 この「リスボン宣言」に端を発して、“自分の死の迎え方は自分で決めたい”という傾向が強くなるなかで、アメリカ連邦政府は一九九〇年に「患者の自己決定権」という新しい法律を制定し、一九九一年十二月一日付で施行されて今日に至っている。

 また、日本学術会議は一九九四年五月二十六日の総会で、末期患者の意思に基づいて“尊厳ある死”を患者の権利として認める報告を出して承認されている。

 更に、日本医師会は第四次生命倫理懇談会で「医師の倫理」を改定する報告書を提出し“医師が患者に対して充分に説明をするインフォームド・コンセントが重要で、患者の自己決定権を尊重すべきである”と指摘している(一九九六年六月二十四日)。

 これに関連して、ある信仰上の理由から輸血を拒否したのに手術で輸血されたとして、患者が病院(国立)の医師を相手取った損害賠償請求訴訟で、最高裁第三小法廷は「輸血する可能性があることを告げなかったのは、患者が手術を受けるかどうかを決める権利を奪い、人格権を侵害したことになる」として、患者が医療行為を選ぶ権利を人格権の一つと認定したのである(二〇〇〇年二月二十九日)。

 この認定は、自己決定権は憲法第十三条の「自由及び幸福追求の権利」に由来するとして、各個人が有する自己の人生の在り方(ライフスタイル)は自らが決定することができるとしたのである(但し、他者の権利や公共の秩序を侵害しない限りにおいて)。

 人は、<どう生き>て、<どう死を迎えるか>は、全く、その人の固有の価値観によるのであって、“人それぞれであればこそ価値がある”という他はないと思うのである。

 アメリカの精神医学者エリザベス・キューブラー・ロスは、終末期医療の在り方について“手持ちの時間をフルに生きよ”と語っている。また、その著『死ぬ瞬間と死後の生』で次のように述べている。

 “私たちは死ぬことを心配するよりも、今日何をすべきかを心配すべきです。もしあなたが今日、行動ばかりでなく、思考においても、言葉においても、最高の選択をすれば、死の瞬間は祝福に満ちた輝かしいものになるのです。人生のただ一つの目的は、精神的に成長するということです”と。

 “健やかな人生”は同時に“安らかな死”につながり、そこに“いのち”の尊厳が保たれるのではないかと思うのである。

 それは、まさしく“あたかも良く過ごした一日が安らかな眠りを与えるように、良く用いられた一生は、安らかな死を与えられる”(レオナルド・ダ・ヴィンチ『手記』)のではなかろうか。
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by sakura4987 | 2008-10-19 15:31

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