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◆生徒を抽選で選ぶ誤った平等論



 (朝鮮日報 2008/11/4)

 http://www.chosunonline.com/article/20081104000062


 国際中学校をめぐる最近の論争を見ていると、韓国社会における左派的な「平等論」の力がいかに強いかということを改めて感じさせる。そのことを何よりも実感させるのが「抽選選抜」だ。ソウルに来年開設される国際中学校では、生徒の第1次選抜として書類審査、第2次選抜として面接を行い、そして第3次選抜として抽選を行うとしている。抽選とは、合格するか否かを運に任せるものだ。個人の能力や実力はまったく考慮されない。エリート教育を目的として設立される国際中学校の生徒を、このような荒唐無稽な方法で選抜するのは、同校の設立に反対する左派の「平等論」を反映したものだといっても過言ではないだろう。

 左派の平等論では、生活苦を個人の責任ではなく、社会の責任であると主張している。個人が有している能力や資質の差は無視し、まともな暮らしをしている両親の下に生まれたかどうかという、環境の違いだけを強調している。全国教職員労働組合(全教組)や一部の市民団体、野党など、国際中学校の設立に反対している勢力も、このような「平等論」を盾に国際中学校を批判している。生徒を試験で選ぶことになれば、金持ちの両親の下に生まれ、私教育を受けられる余裕がある一部の階層だけが入学できることになり、「教育の機会均等」の原則に反する、というわけだ。すべての人に平等に機会を与える抽選は、このような反対派の嫌悪感を少しでも軽減するために考え出されたのだろう。

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)前政権下では、政権勢力やこれに同調する一部の勢力が左派的な平等論を振りかざし、韓国社会を揺さぶり続けてきた。名門大学に通う学生たちに対し「江南に住みサムスンに勤める連中の子ども」と表現し、敵対心や憎しみを植え付けてきた。名門大学の学生たちが優秀なのは、個人の実力ではなく、金持ちの両親の下で有利な環境にあったからだというのだ。

 個人の成功が、家庭環境やそのほかの社会的な条件に左右されるというのは事実だ。だが、個人的な能力、実力の違いも決して無視することはできない。恵まれない条件の下で育った人でも、ほかの人より一生懸命勉強し、まじめな生活を送ることで、成功する人は少なくない。盧前大統領がまさにそうだ。とても貧しい家庭に生まれ育ったため、商業高校への進学を余儀なくされたが、苦学の末に司法試験に合格し、裁判官、そして弁護士になり、さらに国会議員を経て大統領の座にまで上りつめた。その一方で、ほかの人より恵まれた条件の下で育ちながらも、怠惰で不まじめな生活を送り、社会からドロップアウトする人も多々いる。

 だとすれば、個人の能力の違いを認めつつ、個人がその能力を最大限に発揮できるようにする社会と、すべてを育った環境や条件のせいにし、憎しみを植え付けていく社会のどちらがマシなのだろうか。もし、すべての人が生まれたときから同じ条件の下で育つようにできるのならば、何ら問題はないだろう。だが、そんな社会は実現不可能だ。そんな社会を実現するといって、私有財産を否定し、すべてを国家が左右した社会主義国は、すでに約20年前にすべて滅びている。

 個人の能力の差を認めるということは、競争やその結果が不平等であることを受け入れるということになる。だが、才能がなかったり、周辺の環境や条件が劣悪であるために競争から脱落したり、競争に加わることさえできなかった人たちのために、国家がさまざまな福祉施策や奨学制度を実施していくことで、正常な社会が実現するものだ。

 国際中学校の設立に反対する勢力、特に政治家たちが本来やるべきことは、そうした政策を自ら打ち出すことであり、政策を実行するよう政府に圧力をかけることであって、生徒を抽選で選抜するような荒唐無稽なやり方がまかり通る、誤った平等論で社会を揺さぶることではない。すべてを社会のせいにすれば、一時的な感情は抑えられるかもしれないが、個人の成長はもとより社会の発展も不可能になる。
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by sakura4987 | 2008-11-05 09:38

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