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◆【現代(いま)に生きる時事新報】(9)



 (産経 2008/11/25)


 ■1世紀前に「象徴天皇制」示唆した福澤

 8日、天皇、皇后両陛下は神奈川県・日吉キャンパスで行われた慶応義塾創立150年記念式典に出席された。約1万人の教職員、卒業生、現役学生らに、天皇陛下は「(福澤諭吉は)著作を通じ、また慶応義塾の教育を通して、わが国の人々に大きな影響を与えました」と挨拶(あいさつ)された。

 両陛下は今年5月16日にも、三田キャンパスの慶大を訪問され、天皇陛下が皇太子時代の昭和24(1949)年から、東宮御教育常時参与を務めた故小泉信三・慶応義塾長の「生誕120年記念 小泉信三展」をご覧になった。小泉は皇太子殿下に“帝王学”をご進講する一方、殿下がテニスを通じて知り合った皇太子妃美智子さまとのご婚約に大きな役割を果たした。

 小泉はご成婚後の34年、東宮参与となり、41年5月、心臓発作で急逝した。両殿下は2度も小泉邸を弔問されたほか、翌年4月、日本橋・三越で開かれた「小泉信三展」をご覧になっており、三田では41年ぶりの“再会”だった。

 ≪■『帝室論』で帝王学≫

 両陛下は、三田の「小泉信三展」を予定の時間をオーバーしてご覧になった。特にご熱心だったのは、陛下が小泉と一緒に勉強した諭吉の『帝室論』と『ジョージ5世伝』を展示したコーナーだった。

 『帝室論』は、小泉が神田の古書店で2冊購入し、陛下と交代で音読した。『ジョージ5世伝』は、英国王ジョージ5世の生涯を記した大著で、小泉は陛下と原書で読んだという。

 たまたま展示ケースには、小泉が2回読了したことを書き込んだページが開かれており、両陛下は懐かしそうに見入られていた。案内役を務めた慶應義塾福澤研究センター所員で看護医療学部教授の山内慶太(42)は「余計な説明を申し上げる必要がないほど、両陛下はひとつひとつ丁寧にご覧になっておられました。それぞれに思い出がいっぱいおありのようで、お二人でお話しされていることが多かった」と話す。

 福澤は『帝室論』で、冒頭の「帝室は政治社外のものなり」でわかるように、皇室は政治とはかかわりなく、高く仰ぐ存在とすべき-と説いている。

 明治15(1882)年当時、『東京日日新聞』の社主、福地源一郎が国会開設などについて“漸進論”をとる他の新聞人、政治家と謀って「立憲帝政党」を組織、自由民権運動グループと対立した。福澤は、帝政党や東京日日新聞が尊皇主義を掲げて他党を非難中傷するのを危惧(きぐ)し、皇室の政治利用を批判する社説『帝室論』を執筆した。

 ≪■当時は理解されず≫

 『帝室論』は、創刊したばかりの時事新報で15年4月26日から5月11日までの計12回連載された。同論は連載中から大きな反響があり、終了後すぐ単行本として刊行された。

 今年5月30日、慶大の三田キャンパスで開催された福澤研究センター開設25周年記念講演会で、武蔵野大学学長の前福澤センター副所長、寺崎修(63)は「福澤の近代化構想-天皇・議会・内閣・地方制度を中心に」と題して講演し、『帝室論』などを取り上げた。

 寺崎によると、福澤は帝政党が皇室のことを取り上げて他党を批判するのは帝室を政争の具にするもので、かえって帝室の尊厳を傷付ける-と指摘。その上で、「帝室はあくまで政治社外のもので、学問教育の振興、日本固有の芸術の保護など、国民の福祉、文化的事業の中核となって、国民統合の役割を果たすべき」と主張したという。

 だが、帝室の尊厳と安泰を願う福澤の真意は長い間、理解されず、逆に帝室を軽視するものとして各方面から批判された。昭和12年には、慶大が『帝室論』を収録した『福澤文選』(冨田正文・宮崎友愛共編)を予科学生のテキストに使用したところ、文部省(当時)から「不適当」とされたこともあった。

 だが、寺崎は「太平洋戦争後、新憲法が制定されると、福澤の所論は現憲法下の象徴天皇制の精神に合致することから、一転して再評価された。ですから、今上天皇が皇太子だったとき、教育参与となった小泉は、この本を教科書として使い、若き皇太子と輪読した」と話す。福澤は1世紀以上も前に、象徴天皇制を示唆していたわけだ。=敬称略
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by sakura4987 | 2008-11-26 14:48

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