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◆旧日本軍に騎士道を見た 救助された漂流英兵、艦長顕彰式に出席へ



 (産経 2008/12/2)

サミュエル・フォール氏



 第二次世界大戦中、インドネシア沖の海戦で艦隊が撃沈されて、漂流していた英兵422人を救助した旧日本軍の駆逐艦「雷(いかずち)」の故工藤俊作艦長をしのぶ墓前祭と顕彰式が12月7、8の両日、それぞれ埼玉県、東京都内で開かれる。この戦争秘話を最初に明かした元英海軍士官サミュエル・フォール氏(89)は一連の行事出席のため来日するのを前に、「命を助けてもらった恩返しに日英友好に役立ちたい」と話しており、今回の催しは、旧日本軍の捕虜となった英兵たちと日本側との和解プロセスの一助にもなると期待されている。
                   ◇

 1942(昭和17)年3月1日、現インドネシア・ジャワ島のスラバヤ沖海戦で、英重巡洋艦エクゼターと駆逐艦エンカウンターが旧日本海軍の艦隊に撃沈された。両艦の乗組員らは海に投げ出され24時間漂流。力が尽きる寸前の翌2日、雷に発見された。「幸い海は温かかった。遠くに見えた船影が日本艦とわかった時は機銃掃射を覚悟した」と、エンカウンターの士官だったフォール氏は語る。

 雷では、工藤艦長が艦橋で「戦いが終われば敵も味方もない。全員救助せよ」と命じ、「救助活動中」の国際信号旗が掲げられた。乗組員は縄ばしごや竹ざおで英兵を次々と救助、砲員だった勝又正氏(88)は「目の前で沈んでいく英兵もいた。われわれは220人。甲板は倍近い英兵でいっぱいになった」と語る。

 フォール氏によると、工藤艦長は集められた英士官たちに、「貴官らはよく戦われた。本日は日本海軍のゲストである」と述べ、十分な食料をふるまった。

 救助劇はしかし、フォール氏が87年に米海軍機関誌に「騎士道」と題して寄稿するまで語られることはなく、戦友らは旧日本軍をたたえた氏をいぶかった。

 大戦中、タイとミャンマーを結ぶ泰緬鉄道の建設に駆り出された英兵ら連合国軍捕虜5万5000人のうち1万人余までが死亡、英国内では元戦争捕虜らを中心に、戦後40年たった当時も反日感情が強かったからだ。彼らの一部は今も、同じ思いを引きずっている。

 戦後、外交官になり退職していた氏は「戦争はとうに終わった。日英間には真の和解が必要だ」と願い、天皇、皇后両陛下が訪英された98年にも英紙タイムズに同様の寄稿をしている。

 終戦まで3年半近くは旧日本軍の捕虜にもなった。氏はその時の記憶を問われて、「その話はするつもりはない」と口ごもり、さらに促すと「金歯」と呼ばれる旧日本軍の軍曹が「2、3人の捕虜を殴らないと熟睡できない」として捕虜を虐待していた事実を打ち明けた後、涙をぬぐった。

 工藤氏は79年に77歳で他界するまで、救助劇のことは家族にも語らなかった。雷の元航海長、谷川清澄氏(92)は「口が重く、温厚な人だった。きざな言い方をすれば武士道だが、当たり前のことをしただけだから決断した艦長も口外しなかった」と話す。勝又氏によると、姉妹艦の「電(いなずま)」も救助活動を行っており、旗艦の司令官も工藤艦長の決断を承認していたという。

 救助劇を題材に『敵兵を救助せよ』を出版した元海上自衛隊士官の作家、恵隆之介氏は、「工藤艦長が海軍兵学校で薫陶を受けたのは鈴木貫太郎校長(海軍大将)だった」と指摘する。

 大戦末期に首相を務めた鈴木は45年4月、フランクリン・ルーズベルト米大統領の死去を知り、『深い哀悼の意を米国民に送る』との談話を発表、米国に亡命中のドイツ人作家、トーマス・マンが「東洋の騎士道を見よ」と称賛している。
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by sakura4987 | 2008-12-03 11:38

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