◆【次代への名言】12月12日・小津安二郎
(産経 2008/12/12)
■「日本的なものが、大きなことを云(い)えば一番世界的に通用するもんなんだ」(小津安二郎)
きょうは小津安二郎のファンにとってはめでたくもあり、悲しくもある日である。明治36(1903)年のきょう、小津は東京・深川で産声をあげた。そして『東京物語』や『生れてはみたけれど』など映画史を飾る数々の名作を遺(のこ)し、60年後のきょう、がんで逝く。
冒頭は昭和30年代前半、『東京物語』が英国の映画祭で好評-と聞いたとき、「日本的なものをぶっつけて、それでわからなければ仕方がない」と言ったあとに続けたことばだ。では小津にとって「日本的なもの」とは何なのか。「『もののあはれ』というテーマで日本人を描くこと」-と別の機会で話している。
そんな小津だが、先の大戦でシンガポールに従軍後、帰国したとき、戦後の世相は「汚い」と感じた。「こんなものは私は嫌いです。だけれども、それと共(とも)につつましく、美しく、そして潔(きよ)らかに咲いている生命もあるんです。これだって現実だ」(以上、引用は『小津安二郎戦後語録集成』)-。
だから小津は「泥中の蓮(はす)」を描き、銀幕に美しい日本人の肖像を遺した。観客であるわれわれは、その姿を現実の世界で再現し、後世に伝えるという難役を、この名匠から与えられている。