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◆【昭和正論座】東大教授・西義之 昭和49年10月23日掲載



(産経 2008/12/20)


 ■「あいさつ」忘れた日本人

 ≪■静かな欧州と比べると…≫

 東西ドイツの問題も一応解決し、エネルギー危機もこれまた一応回避した西ドイツは、イタリアの混乱とイギリスの総選挙の話題以外に一見これといった大問題をかかえていそうにありません。

 南ドイツ新聞やフランクフルター・アルゲマイネ、ツァイトなどの編集者の何人かと話しあう機会がありましたが、「少くともドイツにはいま緊急の問題はありませんね」と、こちらが拍子抜けするような返事しかかえってこず、それにくらべると、「むつ」問題、佐藤前首相のノーベル平和賞、東京での再度の爆弾事件、アメリカ軍艦の核装備問題といい、わずか二、三週間留守をしても、日本はなにかちょっと触れればすぐ燃え上るワラシベのようなものに全土がおおわれている印象がとくに強いようです。

 「静かなヨーロッパと沸々とした日本」--この印象はむろん今度がはじめてではありません。といっても表面静かに見えるヨーロッパの内に全くなにも問題がないというわけではないでしょう。たとえば西ドイツですが、外人労働者の問題は深刻だという人があります。エネルギー危機以来、西ドイツでもレイオフや失業者増加の可能性はいくつかききました。失業問題が表面化すると、最初に首を切られるのは外人労働者ではないかということであります。外人労働者はいまドイツ人以上に勤勉なので、その首を切ることは一般的な生産低下につながりますし、なによりも外人労働者の従事している職種が、いまのドイツ人のしたがらないものが多いので、生産低下どころか、町全体がゴミの堆積(たいせき)になってしまわないかという危惧(きぐ)さえ生ずるわけです。

 ≪■せかせかと何かありげに≫

 「外人労働者は、アメリカの黒人並か?」というプラカードをかかげたデモを見たことがありますが、この問題が若い過激な学生を刺激する可能性もないではありません。外人労働者と失業という関係だけからでなく、外人労働者の子供の保育費(大体、子供が多いのが普通です)の問題、税金、さらに外人労働者子弟の教育条件と、私たちあまり外人労働者をもっていない国民にとっては想像もできない、そして意外に解決困難な問題がいくつも見えかくれしているのが実情なのです。

 しかも日本よりも先進工業国といえる西ドイツの公害問題、大学問題と、そのどれをとっても緊急さをひめていないことはないのですが、どうやらこの国はすべての問題を大袈裟にさわぎ立て、ドラマティジーレン(劇化)しないことに覚悟をきめたように見えます。この国だけではなく、なんどか破産を伝えられるイタリアやイギリスも、その日々の生活の上に「おや、これでも危機か?」と首をかしげたくなるような冷静さが支配しているようです。そして(私を含め)なんだか日本人旅行者だけが、せかせかと何かありげに歩きまわっているみたいでもあります。

 「終末論的雰囲気はドイツにありませんか?」と私がききましたところ、一人の編集者はニベもなく「ありませんね」と答えましたし、ある一人は「石油危機のとき一時的にありましたが、アブクみたいに今は消えました」と言うだけでした。私が参議院選挙のとき、ある作家が「日本はこのままでは飢えて滅びる」というのを唯一のスローガンにして立候補しましたよと話しだすと、みんな不思議そうな顔をし、予言者と政治能力は一致するのだろうか、その候補者はそれで何票ぐらい集めたかと好奇心をちらりと見せたのが、せいぜいの反応でした。

 ≪■まるで動物のような訪問≫

 その作家は昨年春ある週刊誌で福田前蔵相と対談をし、「今年は絶対に不作で、飢饉(ききん)がおこりますよ。賭けませんか」と言っていましたが、その年も今年もべつに飢饉なんておこる様子もなく、その作家も参院選では何十万票か稼ぎ、さらにペンクラブに大挙入会しようと騒いだり--とにかくフワフワした日本の社会の象徴のようにただ騒々しいだけであるのを、いまちょっと思い出しています。その作家の友人たちもマスコミも、彼をたしなめるどころか、野次馬のようにその周辺にむらがってわいわいやっている風景が、望遠鏡を逆さにのぞいたように遠く小さく見えてきます。

 話題をかえて、今度印象ぶかく思った話を一つ書きます。こちらの大学で有力な地位にいる日本人教授のところに、日本の大学にいる知人が訪問してきたときの話です。

 ちょうど研究室に友人のほかに数人のドイツ人の助手、学生が同席していたのですが、彼はそれにはほとんど目もくれず、「やあ、なつかしいなあ。どうしてる?」と大声でいって寄ってきたそうです。その知人を駅から案内してきたドイツ人にも、彼はべつに一言もお礼をいうでもなく、ようやく日本語をしゃべることのできる嬉しさに、周囲を無視して話しかけるので、しまいにはこちらの大学の日本人は不思議な動物でも見るように、この知人をながめないわけにはいかなかったというのです。

 ≪■世相を一層とげとげしく≫

 私も今度の旅でタクシーを利用することが多いのですが、タクシーの溜り場で、先頭のタクシーのドアをあけると、まず「今日は!」か「今晩は!」と挨拶(あいさつ)するのがふつうです。そして向うもむろんそれに応じます。「どこどこへ行ってくれませんか?」というと、返事することもあり、返事しないで車を動かすこともありますが、途中で話しかけても応じてくるし、降りぎわに「領収書を下さい」と頼むと、正規の領収書にちゃんと署名してくれます。

 日本で、タクシーの運転手の言葉づかいがよく問題になりますが、こちらのようにこちらから「今日は!」と挨拶する人はまずありますまい。「渋谷!」などと言いすてるだけのことが多い筈(はず)です。私はふと、私たちはこちらからマトモな挨拶一つしないで、ただ相手が無礼だと言いすぎていないのだろうか? と考えこんでしまいました。

 ホテルでも、廊下で掃除のおばさんとすれちがっても「今日は!」と挨拶します。煙草一つ買いに店にはいっても「今日は!」「ダンケ・シェーン」の挨拶は忘れるわけにいきません。電車で肘がちょっと触れても「パルドン!」です。

 日本は礼儀の国だといわれたことがありますが、本当なのでしょうか? お客さんにお辞儀一つできない子供ばかり育てながら、差別だなんだかんだと騒いでいるのではありますまいか? それが日本の世相をいっそうとげとげしくし、いたるところで無用の紛争を起していないでしょうか? 五つの大切よりも、まず挨拶を復興しなければならないのではあるまいか? そんな小さなことを考えながら、ドイツの宿の一室で騒然たる日本のことを思いだしたりします。=ボンにて
by sakura4987 | 2009-02-18 13:27

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